香取大介

 

・香取大介(かとりだいすけ、1973年〈昭和48年〉8月7日 - )は、劇団おひさま冒険団の作・演出家。株式会社ルートエフ(プロダクションルートエフ)代表取締役。算命学運勢鑑定士。心理カウンセラーチャイルドコーチングキャリアカウンセラー

東京都板橋区生まれ、身長169cm、血液型AB型。千葉県立袖ケ浦高等学校出身。1997年から2002年まで結婚していた。男児が一人いる。

・中学時代、学年の文化祭担当教諭から口説かれ、文化祭での学年発表の舞台に立つ(中学2年次と3年次)。それ以後、演劇に興味は持つが運動系の部活に集中する。

・高校卒業後、千葉県教育委員会に採用。柏市立松葉中学校に勤務する。初年度の年度末、人生に迷い大雨に打たれながら精神科に向かう。その時のカウンセリングで自分自身と向かい合い、何を本当にやりたかったのか考えるようになる。

・1994年秋。ふと思い立って俳優養成所に通い始める。その後、小中時代の友人が遊びに来て、近所の気象大学校の文化祭へ誘われ行ってみると、社会人劇団の劇団員募集チラシがあり、年が明けた1995年新春に、その劇団に入団。公務員をやりながら社会人劇団員として本格的に演劇に触れるようになる。

・その後、いくつかの劇団を経験し、2001年に独立。2008年に起業。現在に至る。2011年の東日本大震災の影響を受け、方向性をガラリと変え、地域密着型に興味を持つようになる。

・劇団立ち上げから、演技論や、カウンセリング、ヒーリング、殺陣、アクション、アクロバット、マネジメント理論、芸能マネージャー、プロデューサー陰陽五行論、算命学に触れ今に至る。

・2021年9月、おひさま冒険団代表辞任を発表した。

 

目次

 

1 来歴

1.1 幼少期

1.2 学生時代

1.3 公務員時代

1.4 社会人劇団から劇団はなまる大作戦(社会人劇団時代)まで

1.5 劇団はなまる大作戦(プロダクション時代)からEmpathy Experienceまで

1.6 劇団おひさま冒険団立ち上げから代表辞任まで

1.7 そして今

2 プレースタイル

3 マネジメント

4 人物

4.1 おひさま冒険団員からの評価

5 エピソード

6 作品一覧

6.1 舞台(出演)

6.1-2 映像(出演)

6.1-3 雑誌

6.2 舞台(上演上演台本・演出・殺陣振付)

6.3 朗読劇・シナリオ

6.4 キャスティング担当

7 外部リンク

 

1 来歴

・東京都板橋区区生まれ、千葉県木更津市出身。父はカメラのレンズ会社社長で母は日本舞踊藤原流二代目家元であり、画家。母が当時アニメ等の主人公で流行っていた「ダイスケ」という響きにちなんで「大介」と命名。

・1992年。高校卒業後、千葉県教育委員会に採用される。柏市から始まり、松戸市市川市浦安市と転勤し、16年勤めあげた後、当時代表を務めていた劇団はなまる大作戦をプロダクション化するために2008年3月に退職した。

・起業した直後、交通事故をきっかけに内部クーデターが起き、代表取締役を失職、会社も私財も全部渡すこととなり無一文となる。自家用車が全損だったため、その車両保険代でなんとか手持ちのお金を得て、ゼロから活動を始める。 

・2008年8月。社会人劇団あいすきゃんでぃを立ち上げ、その年11月に株式会社ANIMOを企業、声優のキャスティング及び音響制作会社及び、芸能事務所として動き始める。

・2009年7月。同志を集め株式会社アニモコーポレーション設立。代表取締役を務める。業務はANIMOの内容を引き継ぐ。ANIMOを立ち上げた時に協力していたC塚氏の資金流用と裏切りのため社内分裂が始まり、実質香取とA宮氏の二人で会社を再興していく。声優のキャスティング音響制作事業を進めていくが、2011年の東日本大震災の影響を受け、事業が停滞し、A宮氏と離れ独立することを決意する。この間、芸能界の師匠となる大輪茂男と出会う。芸能マネージャーとしての生き様を叩き込まれる。

・2012年8月。株式会社ルートエフ設立(ルートエフの名付け親は大輪氏)。もう一度基本に立ち返り、芸能プロダクションを作る。このころからWEC(ワタナベエンターテインメントカレッジ)の公開オーディションに参加。いわゆる芸能プロダクション事業を展開しながら、地域貢献、地域密着、地域コラボの道を探り始める。

・2010年より、GAIA art entertainment Empathy Experience(ガイアアートエンターテイメントエンパシーエクスペリエンス通称「e2」)、なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと、梅干し部とユニットや企画を生み出し、2013年、劇団おひさま冒険団を立ち上げる。

・2016年より陰陽五行論、算命学に出会い、運勢鑑定士となる。

次の項目より、算命学での振り返りも加味して表記していく。

 

1.1 幼少期

・父は大阪出身で青年期に家族と一緒に千葉県君津市(北子安)に引っ越し。そこで、香取家の第一分家へ養子に行く(旧姓岡村)。母は千葉県袖ケ浦市(横田)出身。母の父が戦争から帰ってきたあと、紆余曲折あり祖父が国鉄に就職。その後祖父たちは、現在の実家がある木更津市に移り住む。生まれた当初は父親が会社経営をしていたこともあり裕福であった(当人は記憶にない)。3歳ごろ劇団いろはに所属し、テレビ出演も果たしている(船越英二と共演したらしい)。当時二百万ほどするスタジオのカメラをふざけて倒してしまい、その弁償を即金で父は支払ったという。当時から母は散財する父にウンザリしていたらしいが、たまに財布の中から50万ほど抜いても分からないからと実の妹たちに実演してみせていたらしい。そのおかげか母のへそくりが数億あったが、全部父親の会社経営費につぎ込み何度も経営難から救った。

・小学校に上がる前の記憶がほとんどないが、いくつか覚えている中の一つが、母親が家を出ていくときに、「僕も一緒に行く」といって、ついていったことだと本人は言っている。また、寝るときはいつも押し入れの中で一人で寝ていたような記憶があると言っていた。板橋に住んでいたときは一階が住居と社長室。二階が会社だったようで、玄関には多く太い幹の樹が立っていたのをうっすらと覚えている。

・母と一緒に板橋を出た後、一度父親の実父と実母がいる千葉県君津市北子安に移る。ここは香取姓の家が多く、代々香取家が治めていた土地だったようだ。少し小高いところに家があり、眼下に広がった広場は全部香取家の土地だったと言い聞かされた記憶がある。君津市に行ったはいいが、一緒に暮らすことは許されず、わざわざ庭に掘っ立て小屋を建て、そこに母と二人で暮らすことになったため、母は意を決して木更津の実家に帰ることを決意する。ちなみにこの時の様子を芸術家である母は版画にして残している。

・小学校に入る前に木更津に住むと、母は短期間だがヨーロッパへ画家の修行の旅に出てしまう。一人母の実家に残された香取は、祖父から「香取の子め!」と虐げられていた記憶がある。そのころから何となく「香取」という名前が好きではなくなっていたと言っている。

・小学校の入学を決める時、二校から選べたようだが、同い年の女の子のいとことは別の学校がいいと思い、木更津市立祇園小学校を選んで入学した。一年生時の記憶もほぼ残っていないが、最初は一人で登校できず、校門まで毎朝母親に連れてきてもらっていた記憶がある。子供の頃から怪我が多く、遊具からよく落ちて、頭を切ったり、足を汚したりと、血だらけの幼少期時代だった。また、彼岸花セイタカアワダチソウを見て、人の命を奪う悪い花という認識をどこからか教え込まれ毎日怯えながら登校していたのを覚えている。

・小学二年生の時、夜中の3時過ぎに腹痛で起き、目の前に光があたった人の影が壁に映っているのを見つけ、母親を叩き起こす。母から「早くトイレに行っておいで」と言われ、用をすましてそのまま布団にもぐりこんだ。誰もいないのに人の影だけあってとても不思議だったが、のちに聞くと、白い着物を着た白髪のお婆さんがこちらをじっと見ていたそうだ。

母は息子が帰ってくる時に1人にしないようにとあえて外に働きに行かず、一度離れていた日本舞踊に力を入れ、二代目家元となり踊りで飯を食っていくんだと決め毎日稽古に励んでいた。そのおかげで、香取が学校を終えて帰宅する時には必ず母親が家にいたので孤独を感じることは無かった。

・3年生くらいになると、近所の学年の違う友人たちと遊び始める。大体柔らかいゴムボールと金属バットを持って隣の空き地で野球をしていた。4年生くらいになるとファミコンが世の中に出回り始め、雨の日はみんなでファミコンで遊んでいた。みんなで少年野球チームに入り、学校と野球をずっとやっている野球少年だった。このころ野球人口も多く、固定でレギュラーを取ることは無かった。一度木更津に読売ジャイアンツの選手が少年野球教室で教えに来てくれたことがありそこに参加した思い出がある。原辰徳選手に直接教えてもらい、サイン入りタオルをもらった記憶がある。だがしかし、香取は根っからの阪神ファンで、掛布が大好きだった。また、ちょうどそのころ父親の会社が倒産し、10億の負債を抱えて夜逃げしたという情報が入っている。

・振り返ってみると、大運初旬は10歳から始まるのでそれ以前の記憶はほぼない。また、10歳以前の大運は年支と天剋地冲、月支と律音であるため、物事の始まりに必ず壊れる現象や否定される現象が起きている。自分のやりたいことを主張しても必ずうまくいかないと言った人生は宿命通りと言える。また、生誕時より20歳くらいまで忌神が回っているので、なかなか自分の力が発揮できない。あるいは発揮するのに相当な苦労が必要であるため、そのような環境にめぐりあっている。元々宿命上、家系の恩恵は全く受けられないと出ているので、大運初旬を迎えた段階で父親が破産したのはそういった意味もあったのかもしれない。



1.2 学生時代

・中学は二つの学校が合わさり、木更津市で一番新しい新設校に入学した。そこで小学校の時にあえて分かれたいとこの女の子と同級生になる。そのいとこ曰く「いっつも大介と比べられて迷惑!」とブチ切れていた。何気に彼女は女番長。その父親(香取の伯父)も若い頃はヤクザも名前を聞いたら恐れるほどの地元の番長だった。

・香取が入学した木更津市立清川中学校は、香取たちの代で初めて1学年から3学年が揃った。小学校からやっていた野球をするために野球部に入る。4月ごろは全く目立たなかったが、何故か国語の授業で体育館でバスケットボールをすることになり、そこで山下というバスケ部の友人に突き飛ばされ(あだ名はヤマジ)、左足をねん挫してギブスをはめることになる。梅雨の時期はずっとギブスをはめる生活となり、おかげで松葉杖の使い方がものすごく上達する。ギブスを外した香取は、今までの遅れを取り戻すためにヤマジといっしょにいつも夜になると、外に走りに行っていた(中学三年くらいまで)。すると、二学期になるころには学年でトップクラスの俊足を手に入れるようになり、何か人前で走る機会がある度にヤマジが「香取は俺のおかげで早くなった」と付きまとってくることになった。結局野球部ではレギュラーを取ることはなく、最後の大会も背番号10番で負け試合に代打で出た程度だが、足の速さは学校内で有名になっており、リレーはいつもスターターかアンカーで、必ずトップでかえってくるので、中学三年生の頃には香取が走ると黄色い声援が飛んでいた。でも彼女はいなかった。今振り返ると、夜に走り始めた中学一年次の年は丙寅年で、守護神が巡り日支とも支合の年となる。このタイミングで始めたことは非常に目立つし、成果が出やすくなる。支合はすぐに結果は現れないが続けていくと確実に実を結ぶ。合わせて苦労と努力が必要な運勢であるため、ケガの後ひたすら努力したことが実力をつけて行けた要因であるともいえる。

・このころの逸話一つに、クラブ活動に相撲クラブというのが出来て、当時若貴ブームのはしりだったのもあり、相撲クラブに加入するも、駅伝クラブの顧問から、「相撲クラブは廃止するから香取は駅伝やれ」と言われ、結局駅伝クラブに入り走らされまくった。ただ、このおかげで高校一年生の時に得をすることになる。勉強は、理科社会(特に日本史)が大好きで後は全くダメだった。特に英語は最悪で、親友から英語を教えてもらっていたが、いつ模擬テストは20点いかないくらいだった。その友人から、「次のテストは絶対Thatがでるから、絶対書け!」と言われたにもかかわらず、「This」と書いて怒られた記憶がある。その友人は房総半島では一番優秀な公立高校木更津高等学校に余裕で進学した。ちなみに香取は、高校受験直前に、ようやく「play」が何も見ないで書けるようになった程度だった。また、受験前は何故か勉強よりも五島勉の著書「ノストラダムスの大予言」シリーズにハマり、参考書を読まずそればかり読んでいた。また、「アメリカ横断ウルトラクイズ」にもハマっており、いつか必ず出たいなと夢を描いていた少年であった。ちなみにそこで、立命館大学というのがあることを初めて知る(結局縁もゆかりもないが)。このころから何となく、関西方面に憧れを持ち始めていた。それでも高校受験は志望校に合格した。それ結果がまた、親戚から「大介は勉強もしないで合格しやがった」と批判される対象にもなった。ついでに言えば、寝る前は必ず漫画を一冊読んで寝ていた。だいたい「キン肉マン」か「大長編ドラえもん」のいずれかである。

・千葉県立袖ケ浦高校に入った目的は、自転車で通える学校であることと、近隣では唯一ラグビー部がある学校だったことが理由で選んだ。家が裕福ではなかったので電車賃が要らなく、奨学金で学費が賄え、かつ好きなスポーツが出来そうな学校としての条件がぴったりだった。受験も不思議と本人なりにうまくいき、理科100点、社会98点。英語ががんばって、65点も取れたので感動した。振り返ってみれば公立高校の受験日は2月であり、年も戊辰から己巳に変わった時である。己巳年の二月は丙寅月であるため、己巳と年支は半会で、丙寅と日支は支合であったため、今まで努力したことが実ったといえるであろう。また、担任教師から、「香取は絶対に落ちるから志望校のレベルを下げたほうがいい」と反対されたのも宿命上プラスに働いた。おそらく仮にこのタイミングで推薦であったり、担任の進めた学校を受験したならば、落ちていたはずである(実際2月に推薦入試はあり得ないのだが)。

・高校入学後、迷わずラグビー部に入る。足が速いのは目立っていたため、体育の教科担任(陸上部顧問)からは陸上部に授業のたびに勧誘されていたが、断り続け最後に先生から「まぁラグビー部に入ったら耳が餃子みたいになるから頑張れよ」と嫌味を言われて祝福された。ラグビー部に入った理由は単純にドラマ「スクールウォーズ」に感動したのでやってみたかっただけだ。将来は背番号10番をつけるのが目標だった。比較的後輩いびりのない部だったので、先輩が怖いと思ったことはあったが、嫌だと思ったことは一度もなかった。また、新入生を洗礼するための恒例10キロランニングで、3年の先輩も抜き去り、いきなりぶっちぎりの一位でかえってきてしまったため、余計に目立ち良くも悪くも先輩から可愛がられた。ひとえにこれは、中学時代にやたらと走らされた賜物だと当時から思っていた。その恩師は高校二年の時に急逝している。体力だけは3年生についていけたので、3年のレギュラーが所用で不在の時は一年生ながら試合に出してもらえていた。ただ当時は身体が軽かったので、相手チームに軽々と持ち上げられ一度記憶喪失になったことがある。その日の朝から全く記憶が残っておらず、気が付いたら家の天井を眺めていた。翌朝、祖父が怒鳴っており、「大介が死んだらどうするんだ!」と誰よりもとても心配してくれていた。一緒に暮らし始めたころとは大違いの祖父を見てちょっぴりうれしかった記憶がある。と香取は言っている。

・実はこの高校のルールでは、文科系と運動系の部活は掛け持ちしていいということになっており、本気で演劇部とラグビー部の両方をやろうと考えていたが、あまりにもラグビー部の練習がキツ過ぎて実現することは無かった。だが、たまに体育館を覗いていた香取を見て、演劇部女子は声をかけてくれていたので、だいぶ怪しい人物に映っていたに違いない。

高校一年の冬から毎朝新聞配達のバイトを始めることになる。最初は中学から一緒の松岡という男から「一緒にやろうぜ」と誘われたのがきっかけだが、よくよく考えるとサボり癖のある松岡が、つらいので誰かに押し付けたかったということが理解できた。松岡はその後すぐに辞めてしまった。ちなみに香取は母子家庭ということもあり正直にアルバイトがしたいと学校の報告をし、アルバイト禁止の学校ではあったが学校から許可を得てバイトしていた。松岡は内緒でやっていたことは言うまでもない。松岡が辞めた後、バイト代は独り占めできたので毎月4万5千円のバイト代が手に入った。特段使うことが無かったのだが、けちんぼの母親から毎回取り上げられ無理やり貯金させられた。しかしそのおかげで、高校を卒業する頃には、三つの奨学金の残りと(学費は全て奨学金で納めていた)新聞配達のバイト代で100万円の貯金があった。

・バイト代が入っても使うのはカップラーメンを買うことか、ラグビー用品を買うこと、あと週刊少年ジャンプとジャンプコミックスを買うことくらいだったので(参考書などは買った記憶がほぼない)、月に一万円を使うことはなく、ラグビーに明け暮れた高校時代を過ごした。高校時代、二度のひざの手術に二度の交通事故で何度か入院をしたことにより、県代表に選ばれることは無かったが、自分の中ではそのくらいの力はあると勝手に思っていた。と香取は述べていた。

・振り返ってみれば、年支半会の高校一年次に新しいことをスタートさせることは非常に良い。そのタイミングでラグビーと新聞配達が出来たことはかなりのプラスの成果となって現れたのは至極当然のことである。ただ、己は忌神で巳は日支と冲動のため、壊れるという作用もついてくる。その成果、怪我をすることも多く、新聞配達の帰りに車とぶつかり怪我をしたり、ラグビーの試合中や向かう途中など、交通事故や手術、怪我などを二度三度と多く繰り返したのも頷ける。

・大学受験は相変わらず英語ができないので、日本史だけで受けられる学校を探し、三重県にある皇學館大学を推薦で受験した。今は学校の様子が変わってしまったようだが、香取が受けた平成3年当時は神道系学校として日本でぴか一の学校であった。香取はそんなことも知らず、ただ日本史だけで受験できるというだけで選んだので、面接時にあっけらかんと堂々と主張をしたせいか、面接官二人から特A判定をもらい、一般入試を受けたら絶対にとってやるとわざわざ電話をもらうほどであった。この入試は当時倍率20倍で、全部筆記で回答するものであった。3点足りずに落ちたのだが、面接官であった恵良教授がどうしてもということで、最後の最後まで入学させたいと会議で粘ってくれたようだ。これをきっかけに、高校の卒業記念にと恵良先生に呼んでもらい、伊勢志摩奈良京都を大学教授のエスコート付で旅行学習させてもらえた。ちなみに一般入試も三科目全部筆記で、英語は白紙回答の可能性があるので、香取は丁寧にお断りしたと言っている。その直後に、大学受験の練習で受けた千葉県公務員の採用通知が届き、公務員になることになった。実は香取は公務員になる気は全くなく、二次面接でも面接官に「来週大学受験なので合格したら大学に行きますから、僕は公務員にはなりません」ときっぱり断ったという逸話がある。また、合格通知が来た後も、「ホテルマンになるから専門学校に行きたい」とごねたため、親戚一同があつまり(みたこともない親戚のおばあちゃんまで来て)10人くらいのおば様おばあ様たちに説得され、しぶしぶ公務員になった経緯がある。そして採用は第三希望でだした、千葉県東葛飾管轄に配属されることになる。

・振り返ってみると高校三年次は辛未年である。年支冲動で、日支半会の年である。基本的に多くの高校三年生が年支は冲動が回ってくるので、高校三年生で新しいことを始めることはよろしくない。そう考えると、大学受験の勉強は遅くても高校二年で始めたほうがいいという理屈は、算命学からみても道理にかなっていることになる。自分は高校三年生から始めたので受験がうまくいくはずがないのである(上手く運ばせる手段もあるがここでは割愛)。ただ、たまたま日支半会であったため、進められて受けた公務員試験は合格する。ただ、日干にとって忌神のとしであるため、苦労はともないすんなりとはいかないとある。まさにその通りとなっている。

高校卒業後の進路については年内にほぼ決またので、年末から自動車学校に行って免許を取ることになった。香取自身はきのりはしなかったのだが、あのケチな母親が「お金は出すから免許は絶対にとっておけ」と進めるので通い始めた。結果的に免許を取得したのは2月を越えてからになったので、天中殺中の免許取得となる。免許取得後、事故が多いのはこれが原因の一つだと知ったのはこれから20年先の話である。また公務員になることは反対されたわけではなくむしろ推奨されたので、公務員生活は壊れることが続いたとも思われる。宿命冲動を持っているものは、最初に批判や否定をされた方が後々の人生はだいぶ楽に進むようだ。今思えば反対されてでも公務員になるべきではなかったのかもしれない。



1.3 公務員時代

・1992年(平成四年)4月1日付で千葉県教育委員会に正式採用され、所属は柏市立松葉中学校(平成4年度から平成6年度まで)に着任となる。ギリギリまで勤務地を教えてもらえなかったため、新しく住むアパートを探すことができず、最初の一週間は木更津から柏に通った。松葉中勤務時代はとにかく悩む時期であり、すべてが初めてのことだらけでもあり、良い体験を沢山させてもらったと本人は言っている。公務員時代の強烈な思い出はいくつかあるが、その中でも指折りの思い出の一つが、この着任した4月1日の職員会議の内容であった。学校の先生というものは全員生徒の味方であり、生徒のことを第一に考えている人たちばかりだと思っていたのだが、それはあくまでも理想で空想の世界であって、現実はそんなことは無かった。生徒第一の教員も確かに存在するのだが割合としては半数以下であった。この学校は生徒数が多く当時としてはマンモス校であったため、仕事量は他の新規採用者に比べて非常に多かった。二年目からはその仕事量をほぼ一人でこなすようになる(正確には勉強だからと言って無理やりやらされた)。3年目にはさらにやることが増え、ほとんどの業務を覚えさせられた。非常に苦労したが、このボリュームを越えることはこれ以降一度もなかったので、他の同業者が大変だと嘆いている仕事量もあっさりこなすようになっていた(これが逆に諸先輩方から反感を買ったりもした)。このスキルを手に入れられたのは、松葉中時代のスパルタ先輩のおかげであった。ちなみに当人は出勤簿のチェックのみで後は卓球が大好きで卓球部のコーチとして勤しんでいた。採用の年の12月の冬休み期間中、同僚の教員に連れられてフランスパリオランダアムステルダムへの3泊5日の弾丸旅行を強行する。半強制的に連れていかれたようなものだがそれはそれで勉強になった。だが振り返ってみれば天中殺中の海外旅行である。無事で済むはずはなかった。92年は壬申年、93年は癸酉年で天中殺期間中であり、大運の接年期でもあるので、精神的にはかなり不安定で本当に危ない時期であった。若くて体力もあったので自死を選択することは辛うじて無かったが、人生で初めて自殺衝動を体験した時期でもあった。接年期での年運天中殺は誰でも要注意時期である。特に深酒を習慣としている人は注意が必要だ。初めて本気で好きになって付き合った彼女も天中殺の時期である。良かった要素は、年干支大半会であり、守護神であったことであるが、やはり天中殺中に始めたことは実らない。翌年の甲戌年に裏切られる形で終わることになる。ちなみに、戌が回ってくると自分の宿命では庫気刑が三つ揃うことになるので、こういうタイミングは必ず誰かに裏切られるという星回りになる。そのダメージはその人の宿命の環境との一致具合とそれまでの過ごし方によって差が出てくるが間違いなく起こる事例である。

・1994年の戌の年に、同じ職種の超イケメン先輩G藤氏に(香取曰く、福山雅治にそっくり)、付き合っていた彼女を奪われてしまった。またそのことを相談した別の同期の、その奪った先輩と通じており、誰も信じられなくなった(今考えれば若くて許容力がなかったと判断している)。

・そのショックもあり、人生を見つめ直した香取青年は自分のやりたかったこと(学校の先生・俳優政治家)を思い出し、21歳でもやれることを考え俳優の道を考え始めて行動した。この年の秋ごろ、当時はインターネットが無かったため雑誌で立ち読みしてみつけた養成所のオーディションを受けレッスンを受けることになった。その入所金に高校時代に貯めていた貯金を使うことになる。そのしばらく後、木更津から小学校時代からの友人が泊りがけで遊びに来て、アパート近くの気象大学校の文化祭に誘われ、そこに入っていた社会人劇団の新メンバー募集のチラシを見てその劇団に行ってみることになる。それが初めての劇団との出会いとなる。年が明けてすぐに正式に入団することになり、その年度の3月に旗揚げ公演〈演目『Forget me not』 、劇団名:Actors Team Sanctuary(劇場:荻窪アールコリン)〉そして香取自身が初の舞台を踏むことになった。振り返ってみればこの年は甲戌年で日支と準律音の年である。

・この時期に始めたことを続けていくと運気が上がり止めると運気が下がっていくので、今まで何をやっても長きしないことが多かった香取が、未だに演劇界に残っているのはそういうタイミングで始めたからというのも要因の一つになっていると考えられる。余談として、この公演の楽日(すなわち打ち上げの夜)の翌日の朝、日本中を震撼させた地下鉄サリン事件が勃発する。香取は公務員だからという理由で終電で荻窪駅から柏駅まで帰ったが、半分以上のメンバーはそのまま荻窪に残っていた。朝になりテレビをつけると、ニュースは異常事態で大混乱の様相であった。サリンが撒かれた駅の一つに荻窪駅があり、あわてた香取は劇団員の安否確認を取るために、電話番号が分かるメンバーの家電に連絡を取るが誰も電話に出ないのでだいぶ焦ったと言っていた。当時は携帯電話が普及してないので、他に手段がなかったのである。昼過ぎになって、気象大学生の蠣原弘一郎が寮の公衆電話の呼び出し口に出てきたので安堵した。蠣原が言うには、「あの後、荻窪から終電に乗ってみんなで日暮里に住むメンバーの家に移動して家飲みで呑んでた」とケロッと答えていた。つまり全員無事であった。

・ちなみに、蠣原が俳優の堺雅人と高校時代のクラスメイトであったため、堺雅人が早稲田大学生時代に立ち上げた東京オレンジを早大に観に行っている。後に香取は「今でも堺雅人の芝居は覚えていてめっちゃ面白かった」と言っている。一つだけ覚えているセリフは堺雅人の「ついに出ました縦長テレビ!」というセリフである。

・1995年4月1日付で柏市立光ヶ丘中学校(平成7年度から平成9年度まで)に異動となる。この学校で演劇部と野球部の顧問をこの年は務めることになる(表向きは顧問だが、香取は行政職のため部活動の顧問には正式になれないため、私設コーチという立ち位置で生徒たちに直接指導していた)。一年目から前任校の経験を活かして職員会議で発言をし、若いクセに!と良くも悪くも驚かれていた。着任当初の職員会議で部活動をどうするかという議題があり、その中で、野球部顧問が転出し、一人残った野球を教えられる教員が病気(実際この年に病気休暇を取得)がちで、受け持つ者がいないので、野球部を廃部にしようか?という方向にまとまり掛けていたところに、香取は思わず手を挙げ「野球部が無い学校なんて信じられません。誰もいないのであれば僕が受け持ちます!」と発言して校長・教頭含め全員に驚かれた。香取からすれば、そもそも学校事務を受験した理由は、事務をしたかったからではなく、部活を持ちたかったからであるので、ひとつも不思議なことではないのだが、若造に出来るものかという空気感はとてもすごかった(当時の三学年の番長が野球部に居たのも理由の一つである)。その後、心配をした教頭が事務室に来て香取をなだめるが、逆に香取は「この学校には演劇部がありますよね?でしたら、僕が野球部を持つ条件に演劇部もみさせてください。」と良く分からない条件を提示した。校長と教頭の協議の結果、GW明けからならば、両方の顧問をやっていいということになり、4月中は仮入部期間でもあるので、それとなく顔を出す程度で春の大会もベンチに入らず、観客席から試合を観るようにという条件で二つの部活の顧問を許可された。また、教頭が「香取さんは教育職ではないので部活動手当が出ないから、野球のユニフォームは俺が買うよ。」と言い自腹で購入してくれた。

・教員の心配をよそに、二つの部活動は目まぐるしく成長して、学校中が驚く成果をたたき出した。野球部は市内16校中、万年最下位レベルの実力であったが、その年の二学年の生徒たちは香取の指導がドンピシャにはまり、この学年の最後の大会は優勝候補筆頭までレベルを上げた。秋の新人戦では、その夏、全国大会に出場した学校を延長11回まで追い詰め逆転負けをした(スコア〈8-9〉中学校は原則7回まで、10回からは満塁ルールで始まる)。この噂が噂を呼び、今までは頭を下げないと練習試合もさせてもらえなかった学校が市外からも練習試合を申し込まれるようになった。ちなみにこの学年の生徒がのちの柏陵高校にて春夏連続で甲子園初出場メンバーのレギュラー(3番ファースト)として活躍している。

・演劇部は空き教室の一部屋を部室として活用していたが、いつも床に寝そべって女の子がよく描く漫画を描いて時間をつぶしている部活だったが、これも二学年の生徒から本気を出し、この年の秋の校内の文化祭では小椋佳NHK子供ミュージカルの台本を文化祭発表用の尺に起こし直して(上演許可済み)発表した。従来は吹奏楽部が文化祭のオオトリを務めるが、吹奏楽部の顧問教諭と生徒会主任教諭の計らいで、吹奏楽部が先、演劇部が後に発表し、吹奏楽部が前座を務める形で行われた。教員一同から大ブーイングの中で始まったが、演劇部の発表を見た後、教員側から驚きの声が上がり、今までの演劇部とはまるで違う発表をしたので、大絶賛をされた。と同時に嫉妬もされる。ちなみにこの演劇部の作品には冒頭野球部や生徒会の生徒をエキストラとして出演させている。野球部の生徒は「やった―女子だー」と喜んで参加した。香取はこの時心の中で「お前たちのクラスメイトだろ」とツッコんでいたそうだ。二学期の中頃には、一学年の学年主任を含めた教員三人に囲まれ、「あんた、仕事間違ってねぇか?」と脅され、校長室にも呼ばれ指導された。また別の教員からは「香取さんは若いからそれだけで生徒がついてくるからいいよな」と嫉妬された。

・この年の香取は普通に行けば大学四年生の学年でもあるので、いわゆる教育実習生と同い年でもある。彼らと比べられることもよくあった。それでも全校生徒約680人全員が最低一度は香取の所に来て話や挨拶をしていたので、その年の卒業文集には「香取ワールド」という文言が載るほどのブームとなってしまった。GWから11月の文化祭まで、基本的に朝7時から夜11時まで学校にいることが多く、土日も必ず部活動指導のため学校に行っていたので、約半年間ほぼ休みなく働いていた。生徒からの悩み相談も多く受けたり、香取の味方になってくれていた複数人の教員の相談も受けたりと、このころから他人の相談を年齢問わず受けるようになった。振り返ってみると、1995年は乙亥年で日支律音の年。向こう60年間の人生を決める年でもあるので、この一年間の無謀な働きが今の人生を決めてしまったと言っても過言ではない。

・本職のほうでも、「香取が部活持ってやってるってよ、仕事舐めんなよ」と先輩方から揶揄され柏市内では協力体制がほぼなくなってしまった。ただ、仕事は前任校でほぼ覚えてしまったので、数名の信頼できる大先輩がいてくれたおかげで全く困ることは無かった。この態度がまた反感を買ったと思われる。ちなみにこんな無謀な生活をしていたにもかかわらず、勤務中に居眠りをしたことは一度もない。眠っていたのは事務職員の研修大会だけだった。そういうこともあってか、研修会や合同会議で会うと、とにかく目線が冷たかった。また、別れた彼女も奪った彼氏も同業者であったため、より孤立感は強くあった。

・二年目に入り、一年で学校の校風を思いっきり変えてしまった反省から部活動顧問を降りることになる。また病気休暇から明けた教員も戻ってきたので、行政職の香取が受け持つ理由もなくなったのもある。仕事はそれまで通りだが、部活を持たなくなった分、趣味の演劇に時間を割くことができるようになり、より演劇にハマっていった。この年から社会人劇団を3つかけ持つことになり、ほぼ毎日どこかの劇団のメンバーとあったり電話をしたりしていた。その中で結婚をする相手と出会い、翌年結婚することになる。

・三年目(採用後6年目)に入り、演劇方面の活動も活発になってきたことから、勤務地をより東京都の方へ近づけようと考えはじめ、3年で異動希望を出す。また、柏市内の数名の先輩以外からは疎外感を強く感じているのもあり、新しい場所での勤務での体験も期待した。隣接する松戸市の小学校に異動が決まる。

・1998年4月1日付で松戸市立松飛台小学校(平成10年度)に着任。異動前の挨拶時に教頭から「香取さんは運動はできるのかな?」と質問され何故か理由を聞いてみると、どうやら、まず若い男性教諭がいない、若い女性教諭も育休をとってるため動ける教員がいない(つまり、見本を見せられる人間がいない)、ということだった。それよりも驚いたのは、校長先生が在籍していない学校であった(癌のため療養休暇中)。「動くのは好きなので何かあれば」と伝えてあったので、たまに呼ばれることになった。ただそれよりもこの学校は当時「学校崩壊」の現場そのものだった。小学六年生の一クラスがとにかく授業にならない。陰湿な教員いじめを手を変え品を変え実行しているクラスがあった。決して教員が無能だったわけではないのだが(確かに職員室に熱気は無かった)、一年間で担当教諭が3回代わった。しかも陰湿ないたずらを実行している児童の親はPTA役員で、担任教諭よりも早く学校に来て、担任教諭よりも遅く帰るという、異様なくらい学校に滞在しているPTAの母親たちで、「お宅のお子さんが・・・」と保護者に伝えると「うちの子に限ってそんなことはありません」と対話を終えてしまうという、打開策が最後まで見いだせない学校であった。5月を過ぎたころに校長が療養休暇から戻ってきたので、早速香取は事情を説明して異動希望を伝えた(そもそも自分は船橋管内に異動したかった。ということと、どうせ異動するなら中学校の方がいいという我儘な願望)。この校長も、そもそも我孫子市の中学校の教員で、小学校は不慣れで同じような気持ちでいたので、理解がとてもあった。その念願が叶い、また校長の推薦と紹介もあって、一年で異動が決まる。次も小学校ではあったが、学校崩壊の勤務地よりはよかった。結局この学校で自分が身体を動かしたのはおおよそ二回で、ひとつはミニバスケットクラブでの先生チーム対児童(6年生中心)チームでの助っ人で呼ばれたことと、市内陸上大会の練習で(そもそも練習回数は異様に少ない)、そこで走高跳を教えたことくらいだった。ミニバスケットでは、たまたまだが、自陣ゴールあたりで、相手ボールを高くジャンプしてインターセプトで着地して、ドリブルもせずそのままジャンピングでスリーポイントシュートをしてみたら決まってしまい、それが元で6年生からはヒーロー扱いにされたのでとてもラッキーであった。香取はバスケットが元来苦手な方のスポーツなので本人も驚いた。ただ、この影響からか、6年生のイジメの矛先が香取に向くことは一度もなかった。陸上大会もそもそも競技の練習をほとんどせず、荒れている学校だからという理由で、外に出しても恥ずかしくない行進の練習をひたすらしていたので、出番がなかった。運動会以上に行進の練習をしていたように見えた。走高跳も香取は背面飛びしかやったことが無かったのだが、小学生は背面飛びが禁止のようで、やったこともない「またぎ跳び」を教えた。ちなみに年度末の三月に、「およげ!たいやきくん」に迫る勢いで一大ブームを巻き起こした「だんご3兄弟」が発売されている。香取の息子は生まれたばかりであったが、このだんご3兄弟が大好きでこの曲を聞くといつもご機嫌だったという。

・1999年4月1日付で市川市立南行徳小学校(平成11年から14年度まで)に着任。ちなみに市川市は柏市、松戸市の東葛飾地方管轄ではなく、船橋地方管轄なので、管理課の管轄が違ってくる。この年は、ノストラダムスの大予言で本当に7月に人類が滅亡するのかと話題になった年でもある。香取少年は高校受験前にすごくハマっていたので、どうなることかワクワクしていたことはしていたが、あの有名な一節「1999年7月、空から恐怖の大王が来るだろう、アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために。」は、解釈が違っていると思っており、この年に滅亡は無いと勝手に信じていた。就職8年目といえば、当時の通例では、初めての転勤となるケースが多いのだが、香取はこの時すでに、4校目でしかも管外異動もしているという異例の異動劇を展開していた(香取が退職したころには、初任の学校は3年で異動という暗黙の了解が敷かれていたのを記憶している)。着任一年目は初めてのことも多かったので様子をみながら大人しく過ごした。この学校には教室に入れない子供たち用に「ゆとろぎ教室」というものがあり、どうしても教室で座って授業を受けられない小学一年生の子が、時間を見つけては職員室や事務室、校長室に遊びに来ていた。香取も仕事のうち一時間ほど使ってその男子児童の相手をしていた。また、この学校の校長とは相性がよく何でも話し合える仲であったが、教頭が香取にとって初の女性管理職であり、当初気に入られていたのだが、香取の方がだんだんとその教頭のいい加減さが目につき、職員(この学校も荒れていたが、教員が優秀な人が多く熱気もあったため目立って荒れてはいなかった)も呆れて反発が始まっていたのもあり、教頭の無能さが目立つような形が浮き彫りになって来た。二年目に入り、学校の様子も大体わかってきたので、学校の改善点などどんどん発言するようになった。職員からの反発は今までのようなものはむしろなく、自分たちが教頭に言えない正論を、香取がどんどんぶつけていくので応援するような雰囲気さえあった。校長の信頼も厚く、たまに校長室に呼ばれ、そこで話した香取の発言を応用し職員会議で校長の言葉として使っていたほどであった。子供が生まれたのをきっかけに(他の理由もあるが)芝居を辞めたこともあり、仕事に集中して今までの成果を発揮できた。加えて管轄が変わったこともあり、過去のしがらみ(特に柏市)もなく、20代の若手が来たというのもあり、校外での活躍も目立ち始めていた。市川市代表として研究会の全国大会への出張やこれからの学校事務職員像の提案者として千葉県大会で発表したりもした。普段は盛り上がらない寝る人が多い大会だが、芝居をやっていたのが功を制し、自分の発言の時には目を覚まし聞き入っている人が多かった(おそらく早口で明朗にしゃべっていたからだと思う)。また質疑応答や議論の際にも、嫌味を言ってくる質問者に対し、過去にお世話になった柏市・松戸市の先輩方がフォローの口撃をしてくれて、議題も大いに盛り上がった(大会自体は第七中学校時代)。

・着任した年とその翌年、市川ケーブルテレビの番組の収録に立ち会う。内容は、市川市内すべての小学一年生の児童に将来の夢を聞いていくというものだった。南行徳小は当時大体150名前後の一年生が在籍しており、その収録をずっと見学させてもらった。この時の衝撃が、現在の香取の立場を作っていると言っても過言ではない。自分が小学生の頃は、世間も知らなかったこともあり、たいていの夢はウルトラマン仮面ライダーになりたいが主なものだったのだが、この年も、翌年も、半数以上の児童の口から出てきた夢は、女子児童、男子児童問わず「公務員になりたい」であった。二年連続でこれを目の当たりにした香取はさすがに考え込んだ。公務員になる夢を持つのであれば、せめて消防士さんとか幼稚園の先生とかお巡りさんと言ってもらいたいものだが、ただ「公務員」というワードだけ口にする小学生の心理状態は一体何なのか?ずっと考えた所、香取は「おそらく大人が夢を持てていないからだ」と考えた。当時はバブルがはじけて、終身雇用というものもなくなり、リストラされ、努力が実らない現実を日本中が体験していたばかりの時期。そしてこの南行徳小学区には、収入の少ない人が住む公営住宅などもあり、また行徳地域は千葉県から外国人が優遇して住めるようにと指定された区域で、連帯保証が要らないアパートが沢山あった。そして何より南行徳小も含まれた南行徳中学校学区は、県内の暴力校指定区域に指定され、本校がその事務局になっていた。要は街全体が荒んでいると千葉県から決めつけられた区域であった。実際、両親がいなく祖父母のうちで育てられている子供や、父親、母親、本人全員の苗字が違うなどという家庭がチラホラあった。おそらく家庭での会話は「公務員はいいよなぁ、リストラされなくて」とか「校長はいいよなぁ、何もしないのに給料が高くて」とか、そういった会話がなされていたのであろう。未就学児のころから、そういった保護者の会話を耳にしていた児童たちは、「公務員は良いものだ」と認識し、将来の夢は公務員。という発言に繋がっていたと推測した。この一連の経験がのちに香取が劇団を作る要因の一つとなる。

・ちょうどこの小学校に勤務していたころ、南行徳小及び近隣学校では、児童・生徒の更生に役立つという理由から、「南中ロックソーラン」が流行っていた。また香取が着任した年に放映された「3年B組金八先生」シリーズでも取り上げられたこともあり、この学区でも盛んにおこなわれていた。南行徳小は都庁で開かれていた南中ロックソーランの大会にも出場して賞を取ってくるほどであった。

・2001年に入り、初めて劇団に入ったころの蠣原と横張秀明(通称ハリーさん)が、新しく演劇ユニットを作ったので受付の手伝いをしてくれと頼まれる。二度と芝居をしないと決めた香取だったが(芝居を辞めた後、あまりにも意気消沈していた香取を見かねて妻がネットで草野球チームを見つけてくれ、2シーズンほど草野球をしていた。チームは千葉市のリーグに拠点を置く、ホワイトキャップス。)

お手伝いくらいならいいだろうと、その依頼を受け入れた。そこで、劇作家の武田直樹と初めて出会う。

・本職の方では着任当初の女性教頭があまりにも職員室にいないため(大体PTA室か校外に出かけていた)、教育委員会も呆れ果て校長と教頭は事務的能力がなく不安だという視点から、人事がスムーズに運ぶよう根回しとして先に香取に情報を流すようになっていた。当時の南行徳小はクラスも多かった分、教員の数も多い方で、かつ、病気休暇を取る教員も異常に多く、その手続きに奔走していた学校でもあった。そのため、教員の欠員を防ぐため市教委が根回しして動くのだが、校長と教頭に危機感がなく、教務主任と事務職の香取の二人で学校の内省を回していた。3年目に入り、教頭が異動になり、人柄の良く学校をちゃんと守ってくれる教頭が着任してくれたおかげで、その後はだいぶ仕事が落ち着くことになる。

・丁度そのころくらいに、新規演劇ユニットのお手伝いの話がやって来たので引き受けることができたのもある。しかしながらその新ユニットが突然解散となり(後ほど記述)、その流れで、香取主宰の劇団、「はなまる大作戦」が結成される。翌年、着任して4年目の2002年6月に旗揚げ公演。そして9月に別居することになる。

・2000年頃から妻が急に見えない物が見え始め(冝保愛子のような能力を持ち始める)、霊的に景色が見えるようになってきた。主な能力は誰かが両目で見ている(あるいは見ていた)光景が、映像として彼女の脳裏に映って見えるというものだった。丁度そのころ、カウンセラーの資格も取ろうと考えていた彼女は、カウンセリング能力と霊視能力を使って人を観ていくという力を後々持つようになる。その流れで、彼女の派遣先の店主も見えると言いはじめ、香取の背後に江戸時代の青年がついていて悪さをするとか、何かにつけてすべて霊のせいにし、香取家の家庭の話まで首を突っ込んでくるようになった。最初は妻もその店主を批判していたが、だんだんと店主寄りの考え方になり、何かにつけて霊が憑いているとか、家族の遊びなどにも顔を出そうとしてくるとかなど、夫婦の関係がぎくしゃくし始めていた。

・また、タイミングが悪く、芝居関係で帰宅が遅くなることも増えてきた。当時は劇団のお稽古と、はなまる大作戦を作るにあたって、香取が持っているスキルは独学で学んだ演技力と演技論だけだったので(同学年の蠣原はすでにダンスを教わっていてかなりセンスがあった)、何か他にスキルを身に付けようと模索しており、丁度息子の興味が「きかんしゃトーマス」から「百獣戦隊ガオレンジャー」に移ったこともあり、アクションを学ぼうと東京都中野区に拠点を置いていた「XYZ」というチームに加入して殺陣とアクションを学び始めた(詳しくは後述)。

・そんな口論が絶えなくなった家庭事情の中、1999年に千葉駅から徒歩4分(京成新千葉駅から徒歩1分)の所に建てた新居近くの登渡神社が毎年9月に行う例祭(4日、6日は夕御饌祭)に親子3人で向かう途中、息子が母親と手をつないで歩いている姿が、とても寂しそうにしょ気ているのを見て、「このままでいたら息子が駄目になる」と判断し、翌朝、香取の方から実家に帰るよう伝え、妻の実父が迎えに来てその日のうちに茨城県牛久市に帰っていった。丁度その時期は、武田直樹と初めて一緒に行う舞台の稽古期間中で、夕方から稽古でもあったので、その足で武田氏に「今日、別居しました」と報告した。

・余談として、この期間中に9.11のテロ事件が起こる。丁度そのころは息子の寝かせつけを香取が行っており、大体夜10時に寝かせつけ、日付が越えてきたころに起きるという睡眠時間がやたらと短い生活をしていた(はなまる旗揚げ公演前の3ヶ月は、22時就寝23時起床の睡眠時間一時間)。このころからおひさま冒険団を立ち上げるまで基本的に睡眠時間は3時間から5時間というショートスリーパー生活を10数年続けていた。アメリカ同時多発テロ事件の日(9.11)も、妻はチャットを終えて就寝するときに息子の添い寝をバトンタッチしテレビをつけたらニュースでずっとやっていたので生中継を全部見ていた記憶がある。またその前後に柏市時代の同業の後輩が千葉県茂原市の実家の海に実母と一緒に車で入水自殺をしたという電話連絡が入り、車で茂原の斎場まで出かけた。その際、遺影の写真の姿をぴたりと当てたり、斎場から母親の霊が天高く舞い上がっている姿を夫婦別々の所で見たりなど、不思議な霊体験が多数起こった。

・また、余談となるが、この南行徳小学校は香取が着任した当時ですでに創立120周年を越えていた。校長室の金庫には江戸時代生まれの人の履歴書も入っていた。貴重な財産が眠っている学校である(行徳界隈の小中学校は寺子屋時代からある学校が多く存在していた)。

・2003年4月1日付で市川市立第七中学校(平成15年から17年度まで)に着任。この勤務地で初めて職場内でいじめを受ける。事務室内で仕事をしている市費採用の事務員Mと、産休補助で着任した新人事務職員Nから主に嫌がらせを受けた。cから戻って来た事務職員の先輩Sからも散々嫌味を言われた。内容は単純で、香取が仕事が出来て他にも仕事を引き受けようとしたことと、着任当時産休に入っていた先輩事務職員Sが、次の相手は南行徳小の香取さんがいいなと言い残して休みに入ったことだ。香取と入れ替わりで異動した先輩事務職員T(第七中学校は大規模校で事務職員が二人制の学校)と、産休に入っていた先輩事務職員Sは共に子育て中の女性事務職員で、当初は仲が良かったらしいが次第に犬猿の仲となり、産休に入る側の先輩事務職員Sがどちらかというと事務室メンバー全員から嫌われる側になっていた(ちなみに全員香取よりも年上である)。香取が3月末に着任の挨拶で菓子折りを持っていったときにはすでに冷戦状態に入っていて、様子も知らない香取は、「何故挨拶をしてるのに全員無視をしているのだろう」と違和感を覚えている。4月1日の朝に、おはようございます!と挨拶をしても全員知らんぷり。これはただならないなと感じてはいたが、香取はそのまま業務を淡々と進めた。これまで仕事量が多い学校で全部一人でこなしてしまっていたので、大規模校とはいえ、仕事量は今までよりもトータル的に少なく感じていた。そこで、教頭や他の教員の仕事などもサポートできるものはしようと声をかけた。しかしそれがいけなかったようで、その直後、事務室で市費の事務員Mと二人きりになったとたんに「香取さん、この事務室は私たちだけの仕事のみをすると決めているので、余計な仕事を持ち込まないでください」と、麻生太郎代議士の口元そっくりな様子でガンガン言われた。ちなみにこの年配の女性の容姿は「ドラえもん」に出てくる、スネ夫のママそっくりだった。そしてこれが嫌味と責任転嫁の嵐が数多く巻き起こる事務室生活三年間の始まりだった。事例を挙げればキリが無いが、一年目の洗礼で香取曰く、一番印象的なのは、会計監査が該当した年で、住居届の証拠書類が全職員分一式紛失したことだたという。着任当初産休補助のNに、「Nさんは、初めてこのお仕事をされるようですが、今後もこのお仕事を続けられる感じですか?」と尋ねた。それというのも前任の先輩事務職員Tの申し送り事項に「Nさんは、本当に仕事ができないので放っといて、全部やっちゃった方が早いから仕事の相手はしなくていい」と伝えられていたからだ。今後もこの仕事をやるのであれば、基本をしっかり伝えて、一人でもやっていけるようにしてあげないと(原則、事務職員は学校に1人の配置という法律があるので)、本人も困るのは当然だが、着任した先の学校が一番困ると考えたからだと香取は言っている。そこで産休補助のNは、「続けたいので教えてもらいたいです」という返答があったので、仕事をしながら事務職全般の研修兼実地指導を行っていた。案の定簡単な計算ミスからチェックミス、いわゆる凡ミスが多すぎた。前任者Tの言う通り、全く仕事のできない人だった。また産休補助Nはお子さんがまだ小学生だということで、必ず17時には退勤させていたので、彼女が帰宅してから1時間から2時間かけて、その日の彼女の8時間分の仕事を全部リカバリーしていた。Nが知らない間にNの仕事を全部代わりに完璧にして管理課に香取が提出していたのだ。つまり彼女の8時間分の仕事を香取はほぼ1時間でやってしまっていた。またそれを知る者は誰もいなかった。これがまたあらゆるトラブルの元になった。当時の事務職員の仕事の一番の基本は出勤簿だったので、印鑑チェックや出勤日数など、いわゆる単純事務を彼女にやってもらい、余った時間で、三手当(住居・通勤・扶養)の書類を確認して覚えておくよう指示していた。絶対的な判断事務は責任のある者がやらないと顛末書を書かなければならなくなるのでそれは香取が担当していた。産休補助Nはとにかくおしゃべりが好きで、事務室にいても、飽き足らずに職員室に行って、空き時間の教員としゃべったり、校長室で校長先生とおしゃべりしてきたりと、出張キャバクラ嬢のように明るく楽しくコミュニケーションを図っていたので職員との関係は良好だった。そんな時に会計監査の事件が起こった。いつも決まった場所にあるので、あると思い込んでいた香取だが、いざチェックをしようと住居届と証拠書類のファイルを探したが全く見当たらなかった。事務室書庫にも別室倉庫にも校長室にもどこにもなかった。誇張表現ではなく、本当に三日間探してもなく、いよいよ監査当日が迫ってきたときに、香取は産休補助Nの机の引き出しを開けた。そもそもその前に、Nが「香取さん、住居届のファイルが無いんだけど?」と言ってきたので、「Nさんが勉強で見ていたのではないですか?」と聞き返した所「見てないよ」と返答があった。「ではどこかにあるはずですねぇ」とその場はそれで終えてしまっていた。何故ならば三手当のうち、一番チェック内容が簡単なのが住居手当だったので、一番後回しにしても充分間に合うという算段が香取にはあったからだ。翌日になってもNは「ないない」と騒いでいるので(本当に他の仕事もしないでファイルだけ探して一日終えてた)、「Nさんの引き出しの中とかは無いんですか?」と尋ねた。何故ならNの習慣として帰る間際に決まってバタバタと引き出しにの中に乱暴にその日扱った書類などを突っ込んで帰っていたからだ。それでも「ないよほらー」と乱暴にガンガン自分の机の引き出しを開けているので、「分かりました」とそのままにしてしまった。その後さらに三日ほど学校中をくまなく探したのだが本当に出てこない。香取は直感で絶対にNの引き出しの中が怪しいと思っていたので、疑いをかけられるのも迷惑だと思った香取は、あえて市事務のMが目の前にいて彼女立ち合いのもと、「今からNさんの引き出しを開けて調べますね?」と言ってから開けた。するとそこにちゃんと住居届のファイル一式が入っていた。その時の市事務Mの表情は思いっきり口をひん曲げた状態で目線を下に向けて目を合わせず、「あらそう、良かったわね」と舌打ちが聞こえそうな様子で言っていた。香取はファイルの中をめくって全部あることを確認しながら「でもあったので良かったです。これで無事に監査を終えられますね。」と安堵して自分の席についたところ、隣の職員室から産休補助のNが走り込んできて「何?香取さん、あったの?どこに?」というので、「Nさんの引き出しの中にありましたよ、だからもう大丈夫です」と答えた。するとNは突然大泣きし始めて「香取さんが私の机の中に書類を隠してたー」と大声で職員室に泣き崩れながら向かって行ってしまった。その直後、教頭が事務室に顔を出して、「香取さんちょっと」と手招きして校長室に呼ばれた。職員室を覗いてみると、養護教諭はじめ数名の女性職員がNの背中をなだめながらこっちを見ていた。校長室に呼ばれた香取は事情を全部、校長と教頭に話すが、二人は渋った顔をしていたので、さすがにこの対応に香取はブチ切れたと言う。納得しないまま校長室を出て、事務室に帰って引き続き仕事をしようとしたら校長が後から追いかけてきたので、「校長先生、そんなに僕が信用できないのでしたら、一か月休んであげましょうか?僕がいなかったらこの学校がどうなるか、それで思い知ったらいいと思います。」と啖呵を切った。校長は両手を香取に差し出し、全力でなだめに入ったが、それでも香取は怒りが収まらなかったという。この日はやたらめったとあちこち蹴り飛ばしながら(電柱とか看板とか路上の固い奴を)行徳駅まで帰ったのを覚えていると言っている。

・また悪いことは続く。船橋地方出張所(船橋管轄の管理課)からも目をつけられた。校長を通しての指導は翌年以降になるが、事務職員が手に負えないという噂が流れ、前任校の校長が心配になり、勤務後に第七中学校の隣の学区にある南行徳小の校長室に出向いた。香取が南行徳小四年目に着任してきた校長は中学時代に理科を担当していた校長で、第七中の教頭と同じ理科仲間だったのもあり、七中の教頭から「香取という人間はどういう奴なんだ?と電話相談があり、心配になって呼び出したんだよ」と言っていた。事の顛末をすべて南行徳小の校長に伝えると、すべて納得してくれた。また南行徳小の校長は、香取の南行徳小での働きぶりをちゃんと七中の教頭に伝えたようで、それもあって少し信頼を回復したようだった。南行徳小の校長室の隣は事務室があるのだが、香取と校長の二人の話が終わるのを待って、南行徳小事務室の市費の事務職員と栄養士の二人が香取に話しかけてきた。内容は、第七中学校の市事務Mが、「市事務の研修会で香取の悪口を言いふらしていて、南行徳小での働き方や人柄からはあまりにも想像できない内容だったので、私が否定して回ったのよ。」という話、また、栄養士からは「栄養士会でも話題になってるわよ」という内容だった。七中事務室からどんどん香取の悪口が市内中に広まって行っているようだった。加えて、香取の後任についた、若手の女性事務職員が、香取がやっていた仕事量があまりにも膨大なため、もうだいぶやる気がなく、仕事も雑でいい加減で、本当に困っていると報告を受けた。また、香取が仕事の幅を広げ過ぎているから、これは事務職員としてやってはいけないし迷惑行為だということも言っていたらしい(のちにこの後輩が、香取は仕事とは別に芝居でチケットを売って稼いでいると管理課に嘘の報告をすることになる)。振り返ってみるとこの年は年支納音、親からの恩恵がなくなり、全部自分の力で生きて行かなければならない年である。誰もが30歳になると年支に納音がまわってくるので、この年までに自立できているかどうかが試されることになる。さっそく社会の洗礼を受けた一年となった。

・ただ、この年の干支の癸未は、年干支は納音だが日支は半会であり、しかも癸は守護神であるため、なんだかんだで最後はまとまって落ち着いた。

・そしてこの年の紹介で出会ったところは今後大きく影響を与える。後に記すが、この年にBGMフリー音楽素材のサイト、「H/MIX」の秋山裕和と初めて出会っている。この頃の彼の音楽はまだ世間に知られていなかった。

・2年目の第七中学校は新校舎が出来上がりそこに引っ越すことになる。当時の市川市長は何でも全国一、全国初が大好きで、耐震補強が必要となった第七中学校は、全国で初めて、官民共同で建てた新校舎となった。中学校の学び舎の他に、保育園、デイケアケアハウスそして、公共のホールが一緒になった校舎が出来上がった。公立中学校なのにエレベーターもあり、屋上は庭園となっており、特別支援学級の生徒がそこで農園をやる予定だった。いじめ問題はもちろんこの年も続く。育児休暇が長期で撮れるように制度改正され、本来なら明けて帰ってくるはずの事務職員の先輩Sはさらに育休を取得し、産休補助のNとは別の職員が代わりにやって来た。この育休代替えの人も初めてだったが、至極普通の優しい年配女性で、この人とは全くトラブルなくむしろ仲間が一人増えた。とはいえ、予算の都合でフルタイムではなかったので香取の仕事量は減ることはなく(香取曰く、仕事を持ち込まない事務室なので仕事量は相変わらず少ないと言っていた)、一人で淡々と業務をこなしていた。そんななか校舎の引っ越しが二学期開始の9月1日からとなり、夏休みの約40日間を使って、校舎内のものを全部手作業で引っ越すことになった。これは全職員、生徒共通なので、棚から、テーブルから教室の備品まですべて手作業で運び出した。職員室などは学年ごとに協力して、校長、教頭の物も手の空いた教員が手伝っていた。当然事務室もということになるが、事務室に連携は無い。そして業務の都合上、一番ファイルが多いのは教頭と事務職員である。その事務室の備品をすべて香取一人で運び出すことになった。誰も協力者がいなかったのである。完全無視状態だった。新任の育休代替えの職員も夏休み期間中のため採用なし。つまり味方はゼロだった。また、基本的に学校は全てが鉄筋コンクリートで壁も頑丈なのだが、新校舎は相見積もりをとって一番安価な業者に発注したため、柱以外の壁が石膏ボードでできていた。教務主任や生徒指導の教員は(第七中学校は歴代番長がいるくらい年季の入った荒れた学校だったので、二人とも私服警察官よりも強面の教師であった)、「この学校で壁が石膏ボードではすぐ穴が開くから困る」と市教委に要望したが聞き入れらえることは無かった。案の定、一週間もたたないうちに廊下の壁に穴が開いた。しかし、一番最初に壁に穴をあけたのは香取であった。一人で古くて重いロッカーを新しい事務所に運び入れているとき、ゆっくり降ろしたつもりが鋭利なロッカーの角が壁に刺さってしまったのだ。思いっきりめり込んだ穴はふさぎようもなく、二学期開始早々に教育長はじめ、上層部が見学に来ることになっていたので、教頭(2年目から別の教頭になった)にも相談し、段ボールでとりあえず目隠しすることになった。

・この年の一学期、校長に呼び出された。内容は、「香取さん、事務職以外に演劇をやってチケットで稼いでいるんだって?」という内容だ。校長は四角四面の指導をしてきたが(もちろん公務員は副業禁止、香取はこういうことも想像できたので、はなまる大作戦を立ち上げた時から、自分も劇団費を納め、出納簿を事細かく全部つけ、チケットの売り上げは経費を抜いて全部劇団通帳に入れていた。つまり香取はチケットバックを一円ももらっていなかった。この貯蓄がゆくゆくのプロダクション化につながった)、何故公務員が演劇をやってはいけないのかという持論を展開し、公務員だからこそできる公共の一般市民への奉仕論を語り、東京都の養護教諭で自分と同い年の女性が社会人劇団として舞台をやっている事実も触れ(のちに客演をする劇団気球計画の主宰)、また当時計画を実行しようと案を練っていた「高校生対象はなまる塾」にも触れた。公務員だからこそ、無償で子どもたちに演劇を伝えられる。この貴さを説きまくった。すると校長は大いに納得して、はなまる大作戦の次回公演「エケロテクル讃歌」の大道具づくり(セットづくり)や、空き教室に道具を置いて良いと許可までくれた。なので、エケロテクル讃歌の舞台セットは、誰もいなくなった深夜の七中のプレハブ校舎(新校舎建設中だったので2年間ほどプレハブ校舎だった)で、劇団員10名くらいで大道具やセットをたくさん作れたりもした。これ以降、校長も新任の教頭も香取の理解者となる。

・また余談であるが、新校舎になってからすぐ、七中の生徒が非常ベルを鳴らすいたずらをした。七中関係者からすれば、「また鳴ってるよ」という程度であったが、他の施設の人にとっては一大事だった。保育園の園児はグランドに飛び出して整列し、ケアハウスの人たちは空襲警報を思い出して心臓が止まりそうになっていた。しばらくしてケアセンターの所長が血相を変えて飛び込んできた。「うちのお年寄りたちが死んだらどうしてくれるんだ!」と怒鳴り込んできたのである。至極当然の話だった。しかしながら、七中教員のほぼ全員が、「だから七中にこんな施設を作るなって言ったんだよ」と思っていた。新校舎での仕事は、激務であり環境は劣悪だった。防火システムを新しく作るのは良いが、貯水庫を事務室の地下に作ったらしく、冬を迎えると事務室の床がアイスバーンのように底冷えした。古い校舎だといわゆるドラム缶型の石油ストーブが使えるのだが、新校舎は完全空調だったため、エアコンで暖房をつけるだけ。しかも日当たりの良い南側(グランドに隣接している)は、二階まで吹き抜けの一枚ガラスでできた外観も綺麗な素晴らしい昇降口で下駄箱が並んでいて、北側にある事務室は窓も受付窓と小窓がひとつ。壁の色もスケルトンに近い白色で、廊下側はガラス張りのよくわからない構造になっており、陽はあたらない、風通しはない、空調だけがあるような環境だった(おかげで軒並み事務室の職員たちは風邪を引いて倒れて行った)。また、自分の席の後ろには(仕事しないメンバーだったのであえて座った)、内線の電話がいくつもあり、「(給食室・公共ホール・エレベーター・職員室・ケアセンター・保育園など)目の前の外線電話と合わせて、とにかく電話が鳴りっぱなしだったのを一人でやりくりしていた。また毎週のように日本中の学校、そしてドイツをはじめ世界からの視察が来て、来客も多い学校と様変わりした。

・他の学校ではありえない業務が追加された環境の中で、育休中の先輩事務職員のSが育休から復帰して来た。香取も研修会で見かける程度でほぼ初めましての人だった。初見では一見、優しく見えた先輩であった。その様子から、前任のTがどうして憎むほど嫌いになったのか最初は意味が分からなかったと香取は言っていた。だが、一緒に働いてみて数日でその理由を理解した。この先輩事務職員Sは異様に仕事が遅いのだ。その分丁寧で細かいのだが、仕事のスピードは異常に遅い。あの、産休補助のNの仕事の遅さいい加減さに表面上は取り繕いながらも腹の中はブチ切れていたTの性格だけに、このSの仕事の遅さでは、苛立って仕方ないのだろうなと容易に推測できた。例えば、共済組合貸付業務というのが業務のうちにあるのだが、Sが担当すると丁寧過ぎてその処理に丸二日の時間を要した。資料を全部ひっくり返して記入例を探し出して下書きして、電卓を何度も叩き直して、しばらくして休憩をはさんでと、何をしているのかよく分からないほどに丁寧だ。そしてSが手を付けた書類は全部自分の引き出しの中に入れてカギをかけて退勤していた。加えて、まだ産んだばかりの子どもが小さいという理由で保育園の送り迎えで(法令にのっとって)遅く来て早く帰っていたため、遅々として業務は進まなかった。また、助けようしても助けることも出来なかった。ちなみに香取がその業務を担当するならば、およそ1時間ほどで、チェックを済ませて控えのコピーもとり終えて、封筒に入れて、投函までできる内容の仕事量となる。仮に香取が遅くなる可能性があるとすれば、校長の印鑑が必要であるため、管理職不在だと業務が止まるということくらいだ。ただ先輩事務職員のSは職歴が長いので、知識量と体験はあり(香取から見たら屁理屈のような理屈)、立場上香取の上官にあたるので、指示を香取に出してくる側に立っていた。香取はそれに従い業務を進めるが、その指示内容も軽易であり、出してくるタイミングも異様に遅いので業務のすべてが滞っていた。即ちその余暇分で電話対応ができたということも事実である。丁度この辺りから、千葉県の教育庁は、電算システムを使った事務処理が始まっていて、インターネットをつないで(この時期はまだダイヤル回線)、給与などの情報を事務室から県の電算システムに送れるようになり始めた。まだ始まったばかりなので、ほとんどの人がやり方を理解していない環境であった。ただ香取は自分でエクセルなどを使ってパソコンである程度資料を作っていたので、さほど苦労はしていなかった。

・その最中、この年の年末調整にまたひとつトラブルが起こった。電算システムは何日の何時までという締め切りがあるのだが、当日の朝になって先輩事務職員Sが自分の机の引き出しの中から年末調整の書類の束を出してきて、「あのー、香取さん。私、他の仕事で忙しいからこれやっといてくれますか?」とどっさり紙ベースの書類一式を渡してきた。すべての職員から提出してもらい、預かったままでの状態で、その記入内容があっているかどうかのチェックや、添付書類の確認など、なにも手を付けていない状態の書類が40名を超える量があった。ほどんどの事務職員がそれを丸二日程度かけて、ミスの内容に念入りに処理する内容だった(香取はその量の業務は丸一日でファイリングまで完璧に終わらせるのが通年の仕事ペースであったが)。それを約2時間と少しの時間でやれという無茶難題を突然命令してきたのだ。。呆れるほど無能な上官だが、それについてとやかくいう時間のゆとりもなくすぐに優先順位を組み立て無事に報告業務を済ませた。ギリギリ2分前に電算システムの打ち込み業務を終えた記憶があると香取は言っている。それに対してSはありがとうもなく、ただ当然でしょ?という顔をしていた。

・この年に肩書が一つ上がった香取はこれを機に異動希望を出した。第七中学校の隣にある、行徳公民館がはなまる大作戦の稽古場の拠点だったので、同じ行徳界隈の学校に異動希望を軸に提出した。だが、行徳の隣にある、浦安市もなんとなく第三志望に記入て二学期の終業式の日に校長へ提出した。すると年明け早々に(正月三が日)校長から直接香取の携帯に電話が入った。内容は、市外に異動希望を出す場合は第一志望ではないと駄目だというものだった。「どうするか?」と校長がたずねてきたので、香取は「異動できるのであれば、第一志望で大丈夫です」と回答した。そのおかげで、浦安への転勤が決まった。この時香取は浦安市にずっといるつもりでそのように表記して異動希望を出したが(その方が通りやすいと考えたため)、市外異動時のの市川市教育委員会の面接で(市外や管外に異動の際、必ず出る市と入る市、そして入る管轄の管理課の面接があり、不合格だと異動ができない仕組みになっている)、「香取さんが市川市に入って来た時を今でも覚えてるんだけど、どうしても浦安に行っちゃうの?市川にいてもらいたいのだけど」と引き止められた。それでも異動したい旨を市教委に伝えると「分かった。じゃあずっとじゃなくて3年ね。3年たったら帰ってきてね」という条件付きで異動が認められた(ちなみにこの2年後退職することになる)。

・振り返ってみると、第七中学校勤務時代の後半2年間は申酉天中殺期間であった。また、30歳から大運も変わり、丙辰の大運期にはいった。20歳大運同様、守護神はまわっている。ただ、日支冲動は終わったが、丙辰は守護神と忌神が同時に来る時期でもあった。合わせて、丁巳は異常干支のため、香取の日干支の異常干支と共鳴し、香取の異常性が穏やかになる10年であったのに対して、丙辰は異常干支ではないため、30歳からは香取の異常性(直観力や人間関係などの異常)がより発揮される時期に入っていた。そもそも生涯天中殺でもあるが、年天中殺も加わり、また2004年は甲申年、2005年は乙酉年であったので、香取にとって調和の守護神がまわり精神的には活動しやすくなる年だった。さらに、申・酉の金性は忌神であるが、名誉の性質でもあるため、守護神と合わせて目立ったり名前(名誉名声)が上がったりする時期であった(もしくは中殺時期なので思いっきり下がることもある)。それに呼応するように、事務職員の肩書の方では南行徳小から研究発表を進めていた県大会の発表がありその名前が上がり、一連のいやがらせ騒動を乗り越えてきたのためか、職員の中では信頼度が増した。はなまる大作戦も社会人劇団として信用が増し、花丸大朔(香取の公務員時代の芸名)という名前は知る人ぞ知るちょっとした有名人になっていた。知人の舞台に観劇に行った際、客席で香取を見つけた芝居仲間が客出し中に出演者の前に並ばず香取の前に並んで、客出し時間いっぱいまで人が絶えないということがしばしばあった。おかげでその舞台の舞台監督に「そろそろ完パケしたいので…」とよく注意された。体調もだいぶ崩した。人生で初めて帯状疱疹になったり、なんだかんだと日頃のストレスでよく分からない倦怠感に苛まれ休みを取ることもしばしばあった(ただの寝不足といううわさも)。土日動く分、平日仕事を全部終えて丸一日休むこともあった。また、離婚したあとでもあったからか、異様にモテた。香取の人生で女性にモテモテになる時期はほとんどないので、離婚してから5年ほどは、お付き合いする女性がいない隙間が無いほど、必ず誰か存在していた(ここで色情因縁を違った形で消化をしていたのは、算命学を学んだら分かったことで、この時は知る由もなく、女性と付き合っていた)。

・その中のいくつかのエピソードを挙げてみると、行徳駅から七中までにいくつかコンビニがあったのだが、その一つのコンビニに香取は毎朝定期的に通っていた。通っているうちに、一人の女性の店員が「今日は眼鏡なんですね?」と香取に話しかけてくるようになり、そのうち香取からも彼女に話しかけるようになり、いつしか彼女からお誘いを受けて食事に出かける間柄となり、交際に発展していった。

・その女性の前は、11歳年の離れた女の子と交際していた。香取が30歳になるころの話である。彼女は高校生の時にはなまる大作戦に入団してきた。その彼女が高校を卒業後、その女の子と正式に交際するようになった。ちなみに、その彼女のコンプレックスの一つに、「姉に勝ちたい」というものがあった。香取が「お姉さんは誰なの?」とたずねた所、「声優小林由美子だよ」と本人が教えてくれたのだが、当時の香取はあまり声優に興味がなく、「誰?」で会話が終わっていた。ただ、正式に交際することになった時に、彼女が両親に報告をしたのをきっかけに、小林由美子は「私の大事な妹と初めて付き合う男は私が面接をする!」と言い出した。そして、津田沼土間土間で、彼女の母親と、小林由美子と彼女本人と香取の四人で食事を兼ねて面会した。その小林由美子が開いた面談で無事に交際の許可を得た香取は、正式に小林由美子の妹と付き合うことになった。その後、彼女のバイトが船橋駅前の日本海でラストまで働いていたので、車で迎えに行き自宅まで送っていくという日々が続いた。その時に彼女の愚痴を聞いてあげたりして津田沼の自宅への帰宅が更に遅くなることが何度かあった。そんなある日、自宅前まで車で送った時に彼女の父親が出て来て「大介くん、一応うちの娘は未成年だから、あんまり遅いと心配してしまうんだよ。だから会うならうちの家の中で会ってくれ」と言われ、それからはたびたび小林家で会うことになったり、食事をごちそうしてもらったりした。小林家の兄弟は4人で、一番上の長男は香取より一つ上であったため、香取の存在はそれほど違和感がなかったようだ。その次が、七歳離れて長女の小林由美子、その後二学年ずつ間隔があり、次女、三女と続く。彼女は末っ子だったため、長女とは五つ違い、長男とはひと回り(十二歳差)あった。

・天中殺期間はいろいろな課題が浮き彫りになるタイミングでもあるし、自分自身が宿命からずれていると強制的にセンタリングされる時期でもある。上手に使うと人生が豊かに過ごせるよう展開していくが、エゴを貫き通すと一般的にとらえて痛い目に合う。そう考えると、この時期から香取は公務員ではない人生を歩めという道が始まっていたと考えられる。公務員に採用された年が申年なので、また申と酉が次に回って来たタイミングで、公務員を続けたほうがいいのか、辞めたほうがいいのかを決断させるようなテストのようなことが起こるのだ(香取の場合は、辞めたいと思わせるようなことが起こっていた)天中殺期間に様々な出来事が起こっており、そうした決断を迫られていたとみることができる。

・2006年3月31日。第七中学校最後の日。ここで最後のトラブルが起こった。香取も半分意地でやっていたと本人は言っている。最終日、当時の習慣として異動する職員は朝から校長室で待機して(つまり一般業務は無し)、離任式に登壇して全校生徒の前で挨拶をしてから帰るのが習わしだが(その夜は送別会)、先輩事務職員のSが旅費を配るのに(当時は給与は口座振り込みが主であったが、出張旅費は現金で手渡しだった)際して、「この旅費、私が作った分じゃないから」と言って投げ出したので、他の全職員が離任式に向けて準備を進めている中、朝イチの朝礼と打ち合わせの合間を縫って、香取が該当職員に旅費を手渡しで渡しながら、受領印をもらって回っていった。職員も「香取さん、最後の日なのに仕事してるの?」と驚いていた。さすがに呆れた教頭が「Sさん、香取さんは校長室に入れてあげて、代わりに配ってあげてよ」と命じたので、Sは香取から残りの旅費をしぶしぶ受け取り職員室の自分の席に座った。離任式の前にまず職員室で異動する職員から別れの挨拶をするのが通例となっているのだが、その前に校長室に全員集まって校長から辞令を受けることになっていた。その時、同じく異動する女性の体育教師が「香取さん、負けるが勝ちだよ。私たち、全員香取さんがちゃんとやってるの知ってるから、大丈夫よ。」と励ましの言葉をかけた。この言葉は香取にとって一生忘れない言葉となっている。今でも感謝していると香取は言っている。

・この離任式で登壇した校長は、全校生徒の前で異動する香取を紹介する際、「実は、香取さんは演劇をやられていて劇団を持っているのです。そのうち、芸能界で活躍するかもしれないですね!」

とマイクを通して喋ったため、体育館中がどよめいた。香取は内心「応援してくれるのはありがたいけど、何と無責任な発言を…。」と思っていたそうだ。余談として、香取が第七中学校に勤務している間にAKB前田敦子が在学中であった。また元アニー役の子もいてそれを隠していたらしい。もしかしたら、前田敦子もこの離任式の校長の話を聞いていたかもしれない。

・2006年4月1日付けで、浦安市立入船中学校(平成18年から19年度まで)に着任。香取が着任する学校は必ず何かの問題を抱えている学校だけという自負があったので(なぜそうなるかというと、無難であったり、問題が少なかったり、そもそも職員数や児童生徒数が少ない学校、いわゆる楽な学校は、ベテラン事務職員が絶対入るので、若手や新人がそういう学校に配置されることはまずなかった。これにちなんだエピソードの一つに、市川市に配属されている時期に、自分より20年はベテランの他校のベテラン事務職員が、「香取さん、退職金の書き方教えて?」と相談しに来たことがある。どうやら過去16年間一度も退職金の計算書や申請書を書いたことが無かったらしい。ちなみに香取は採用されてから自分が退職するまでの16年間、毎年退職金の計算をしていた。もちろん最後の年は自分の退職金の計算書類一式を揃えたことになる。さらに加えて自分の宿命も物事の最初に必ず波乱が生まれると出ているので、むしろスタートが大変なところの方が運が良いのも影響していると思われる。)、この入船中は何があるのかむしろワクワクしていた。着任してすぐ、校長から一言。「君が香取君か、噂は聞いてるよ。」だった。それもそのはず、この校長は例の後輩が管理課に香取は芝居でチケット代を稼いでいるという噂を流した時の管理課長だった人であった(香取本人は着任してからその事実を知った)。香取曰く、「入船中に着任した時のK校長先生は本当に優秀で素晴らしい人格者でした。」と言っていた。K校長は翌年、ガンで亡くなることになる(「本当に綺麗な顔立ちの仏様になられていた」と香取談。)。過去仕えた校長の中でダントツで優秀だった。そしてちゃんと人をみていた。K校長とのエピソードもいくつかあるが、その中の一つとして、香取の肩書が一つ位が上がり、その役職を対象とした千葉県内の研修が年間を通してあったのだが、その研修会に提出するレポートを校長に確認してもらうため、見せた所、大絶賛であった。事務職員としてあるべき姿と今後の展開を理想として描いたので実現は不可能であったが、とても良くできていたようだ(このころすでに、はなまる大作戦は面高の反乱の影響で作・演出家不在。香取が台本を書き始めなければならなくなり、その成果の影響が出たものと思われる)。過去、香取が仕えた校長先生は10人となるが、なんだかんだで全員ハートのあるいい先生たちであったと香取は言っている。

入船中学校の問題点はある意味単純だった。在籍している職員に何ら問題はないのだが、香取が着任する数年前に当時教頭だった人物が、横領罪で捕まり全国紙の一面を飾った学校であった。そのことを世間は忘れていても地域は忘れていなかった。学校の裏門(職員の通用門)から、やたらと事務室を眺めている人がいるのを不思議に思った香取がそれとなく教頭に報告した時に、「この学校は近所の監視の目があるから気を付けてね」とその理由と一緒に伝えられて思い出した、と香取は言っていた。それもあり、校内は非常に冷静で落ち着いた環境だった。一度教頭が焦ったことがあった。毎日新聞から電話が掛ってきたときだ。電話を受け取った香取が教頭につなぐと、職員室で対応せずわざわざ事務室に来て電話対応した。電話を切ると教頭はほっと胸をなでおろした。「なんだよー、なんかの事件の問い合わせかと思ったよー。玉田がゴール決めたからそれについての問い合わせだってさ。」と言いながら急ぎ事務室を出て行った。2006年ジーコJAPANのドイツ戦で、日本代表の玉田圭司がゴールを決めたので出身校である入船中に問い合わせが入ったようだった。

・本業は基本的にとても穏やかに問題なく進んでいた。浦安市に配属になって一番面倒だったのが同業の諸先輩方(特に中堅どころ、香取より大体10年前後先輩の代)だった。浦安市事務職員の全体の研修を任され1年目2年目ともに香取が企画立案して実行した。その時、一年目は生命保険について(入船中の教頭のコネを使ってソニー生命の社員を呼んでばっちり勉強)。二年目は防災について(主に地震対策)だった。企画して公表したところ、その中堅どころの先輩から「なんで俺たちが地震やらなきゃいけないんだよ、去年も生命保険で意味わからなかったし、住居手当やろうぜ、住居手当。」と難癖付けて来た。その回答に「生命保険は、毎年必ず処理する年末調整において、先生方は余りにも生命保険の内容を知らなすぎます。先生先生とおだてられたらすぐ入る。無駄に払っているのを知りません。それについて質問されたらちゃんと種別やその意味合いを説明できた方が、事務職員として有意義ではないですか?僕が思うに、事務職員の先輩方も生命保険の内容を知らない人が多いように見受けられますが。それに、地震がもし起きたら、被災者が駆け込んでくるのは学校ですよね?阪神淡路大震災で、学校職員で過労死が多かった順は、教頭に次いで僕ら事務職員ですよ?それは分かってますか?僕たちは地震が起きたら被災者じゃないんです。その勉強をして何が悪いんですか?折角の年一回、なんでも自由に学べる機会であるのに、なんで制度改正もされてない住居手当の勉強を今更するのか意味が分かりません。」と論破した。その先輩は研修会も俯き加減で乗り気ではなかったと香取は言っている。2年目の地震の研修は、当時の浦安市校長会でも話題になった。香取が教育委員会に問い合わせて浦安市の防災課につないでもらい事の経緯を説明したのちに、校長室に呼ばれた。校長に叱られるのかなと身構えた香取だったが(この校長はK校長ではなく後任の校長先生)、「香取さん、私は校長会で鼻高々だよ。すごいね!校長会でもまだ取り掛かってない地震対策をまず事務職員からやろうと言い出したことが非常によかったと話題になってたよ。それも、うちの学校からそれが出てきたのだから、私まで褒められちゃってね、ありがとうな。」という内容だった。思わぬところから褒められたので正直驚いたと香取は言っている。

・当時浦安市の防災課長は、2004年(平成16年)10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源として発生した新潟県中越地震の指揮を執った陸上自衛隊の元陸幕長だった。さすが金持ち浦安市と正直香取は思った(当時夕張市が破綻したばかりで話題になっており、その他各地方自治体はどこも赤字だった。ちなみに千葉県内の市町村では、当時赤字ではなかったのは、浦安市と袖ケ浦市の2市だけだった)。研修講師はその元陸幕長がやってきてくれた。浦安市としても是非どこかでやりたい研修会だったようだ。防災課長は力強い声で、浦安市で地震が起きても私たちが守ります!と断言していた。新潟中越地震での内情も話していて、「自衛隊というのは、テレビカメラや取材陣が入っていけないところに入ります。あの地震の時にニュースで話題になった、消防隊員が小さな子どもを引き上げている映像。あれは、安全な場所です。消防隊員はそこまでしか基本的に足を踏み入れられません。だからカメラで映せます。私たち自衛隊員はさらにその奥の危険区域に自分たちの足を使って入っていきます。例えば昔、北海道で任務を遂行していたとき、大雪で視界が悪くなり、自衛隊の車ですらその奥に入れなくなった時があります。しかし、救出しなければならない人命がその奥にいらっしゃいましたので、我ら自衛隊員は車を降りて、自分たちの足でその現場まで行って救出します。それが自衛隊なんです。」と。当時の浦安市には、その防災や救出のノウハウが常時持っていた。ということを防災課は伝えたかったようだ。その約4年後。東日本大震災の影響を受けて、この入船区域含めた浦安市の土地が(埋立地でも海沿いはあまり影響がなく、むしろ京葉線沿線の方が影響が大きかった)液状化して、地面から多くの砂が大量噴出した。東京ディズニーランドがしばらくの間、休園になったのは有名である(ちなみにディズニーランド自体は設計が地震対策を取られていたので大きな影響がなくその回りの舞浜駅周辺が酷い惨状だった)。

・余談として、この学校の生徒たちの生活レベルは過去に勤めたどの学校よりも高かった。まず、中学一年生の日帰り遠足の買ってきていいおやつ代が3000円まで。当日持ってきていいお小遣いが一万円だった。一緒に驚いていた若手講師の教員と共に「これじゃ、バナナはおやつに入りますね」と二人で納得していた。また、生徒同士の喧嘩の決着を、学校でも教育委員会でもなく、裁判所で行っていたため、学校がその事実を知るのに時間ロスがあったりと、よくわからない感覚だったと後に香取は語っている。またこの学校の近隣は市民オンブズマンが多く、職員通用門の向かいにある家は元Jリーガーとモデルのご夫婦で、奥様がよく出てきて学校を覗いていた。学校近隣の一軒家の相場は当時少なく見積もっても一億円以上の価値を有した。

・2008年3月、教育長から退職の辞令をもらった足で学校に戻り、校長室で辞令を校長と教頭に提示した。退職の意志は2学期の終業式の日に校長に文書で伝えていたが、理由は伝えていなかった。辞令を渡すときにはじめて「僕は退職して芸能プロダクションを作ります」と伝えた。勤務は3月31日までであったが、事務引継ぎが出来なかったため(3年で市川市に戻る約束で浦安市に配属されたので、校長と教頭以外誰も香取が異動するとは思っていなかった。また形式上守秘義務があったため引継ぎが出来なかった)、4月1日も入船中に来て引継ぎを行った。市外から来た先輩事務職員だった(この配慮も香取が退職する情報が全く外に漏れなかった要因でもある)。しかもたまたま香取が卒業した高校の2学年上の先輩であったというおまけつきだった。引継ぎもしたが、昔話に花が咲いてほぼ一日が終わった。退職するにあたり、立つ鳥跡を残さずでほぼすべての仕事を完全に終わらせておいたので、簡単な申し送り事項だけで終わったのも理由にある。翌日、4月2日は丸一日爆睡した。そしてそれ以降、香取は2021年7月中旬に新型コロナに感染して寝込むまで、約13年間毎日休みなくなんだかんだと動き続けることになる。

・振り返ってみると、2005年の申酉天中殺ではなまる大作戦が内部分裂して、入船中に着任した2006年の丙戌年に、面高純一はじめ蠣原弘一郎などはなまる大作戦の実力者たちは全員香取を裏切って新しいユニット「儚組」を作った(詳細は後述)。宿命に未と丑を持っているため、やはり戌がめぐってくる年は裏切りに遭う宿命のようだ。この内乱を気に、はなまる大作戦についていたスタッフ陣もすべて香取から離れた。残っていたのは、はなまる大作戦でないと上手に輝けなかった香取の直の教え子、たまえと神藤みやびと、新人の女の子一人だった。2006年に残った3人と香取で、香取のはなまる大作戦以外の人脈をフルに使ってスタッフとキャストを集めて6月に舞台を上演した。その直前に土田一徳からはなまる大作戦に興味があるとメールで連絡が来ていたが、その後ひと月ほど反応が無かったのでそのままにしていた。公演が終わった後、再び土田から連絡が入り、出会うことになる。初めて対面したのが7月8日。はなまる大作戦の結成記念日であった(詳細は後述)。

・公務員生活を振り返ってみれば、16年間で4つの市、二つの管内というたいていの人が約40年間で経験する異動体験を半分以下の年数で終わらせてしまったことになる。その振る舞い方や、仕事ぶりも併せて、すべてが異常なことであった。



1.4 社会人劇団から劇団はなまる大作戦(社会人劇団時代)まで

・1995年3月の初舞台から2006年の舞台までの期間が社会人劇団時代である。

友人の誘いで行った気象大学校の文化祭の中のチラシをみて、江東区にある東西線の木場駅に初めて降り立つ。そこの公民館を使って芝居の練習をしていたActors Team Sanctuary(アクターズチームサンクチュアリ:通称A・T・S)に参加する。演劇養成所では、テキストを渡されて、行動線などの演技プランや外郎売などを覚えさせられ発声練習をしていた程度であったが、この劇団ではそれ以上の練習方法と刺激が沢山あったので、入ることを決断した。基本的な稽古の内容は「肉錬」と呼ばれる、体を動かしながら(鍛えながら)発声や肉体表現をしていくものをウォーミングアップとして前半の時間を使い、後半は主に感情の開放を行っていた。

・肉錬の主な練習方法は、ストップモーションとスローモーション、及びあめんぼスクワットである。これにより、手足の先まで意識を集中して体中をガチガチに固めたり、全身を緩めて脱力したり、一部分だけ脱力とか、体の半身だけガチガチに固めるなど自分と身体を向き合わせる稽古をしていた。発声は、演劇部で有名な「あ・え・い・う・え・お・あ・お」をはじめとして、早口言葉などの活舌の練習もやっていた。あめんぼスクワットはその両方を同時にやるような練習である。その後、感情の表現の練習として、無理やり笑ったり怒ったり泣いたりをひたすらやった。先輩劇団員の見本をみながら、見よう見まねでやってみるも、なかなかうまくいかず、当初は団長にブチ切れられ、「笑えるまで外で笑ってこい!」とカセットテープを投げつけられた。当時は睡眠薬と安定剤を飲んでいた時期でもあったので、自分の中で、精神的に病んでいるのだから笑えるはずないという甘えがあったのかなと後に語っている。先輩団員の一人の横張秀明が気にかけてくれ、「大介、笑い三年、泣き八年っていってな、芝居でちゃんとやれるにはそれくらいは最低かかるものだから、今焦らなくていいよ」と励ましてくれ、一緒に廊下で笑う練習に付き合ってもらった。その時に笑えなかったら笑い方の技術を先に覚えようとアドバイスをもらい、笑っているように聞こえる発声方法を教えてもらった。また、睡眠薬を飲まないと眠れないという副作用もあったため、負けず嫌いだった香取は、渡されたテキストや台本を、翌日には句読点の位置まで完璧に覚えてくるということをやっていた。それが団長に気に入られ、頼んでもないのに香取のアパートに酒を持って夜通し飲み明かされた。その時に団長が、「大介、お前を半年で自分の劇団を作れるだけの男に育ててやる」と言われ、そこからさらにスパルタ稽古が始まった。

・初舞台となる3月。稽古場が上手く取れなかった時に何度か香取が勤務する松葉中学校の体育館を借りて練習をしたことがある。当時の教頭に相談したところ、快く貸してくれた。初舞台の体験も強烈だった。まず、本番前に4役覚えた。何をやらされるのか分からない状態のまま本番を迎えようとしていた。ようやく一つの役に絞れたところ、小屋入りしゲネプロを終えた直後、団長に呼び出され、団長はおもむろにジーンズを脱ぎ始めた。「大介、これはけるか?」とその脱ぎたてのジーンズを香取に渡し、俺、音響やるからといって、オペ室に入り音響担当になった。というのも、そもそも音響を務める人間が見つからないままゲネプロを迎え、香取と団長と、もう一人の男性団員と3人で、でいないシーンの音響をやるという段取りで本番を迎えようとしたのだが、それを止めたようだ。ろくに練習もしていない団長の役を本番直前でやることになり、だいぶ戸惑ったが、おかげで大失態をいくつか繰り返し度胸がついたと後に香取は言っている。

・一年ほどATSで稽古と本番を二度重ねた後、他の所もみてみたいと思い、雑誌を購入していくつか葉書を出して応募した。ちなみに当時は往復はがきで劇団の見学希望のやり取りをしていた。3つほど返答があり、その3団体の稽古に見学に行き、そのうち2つの劇団の舞台に出演することを決めた。一つは千葉県市川市を拠点にしている「劇団更人」。もう一つは新宿区落合を拠点にしている、「劇団マクロファージ」だった。

・劇団更人は、建築業者のビルの屋上にある空手道場のあいている時間帯を借りて稽古場として使っていた。団長は女性で高塩昌子(たかしおしょうこ:通称、タカショー)と作演出の面高純一(通称、パパ)だった。二人とも香取より一学年上で、とても良くしてくれた。二人は高塩のアパートで二人暮らしをしていつも一緒にいた。そのうちプライベートでも姉や兄のように接してくれ、香取もだいぶなついていた。後に面高は、「大介は誰とでもすぐに仲良くなるからちょっとジェラシー」とめちゃくちゃ人も知りで不愛想な顔をしてチクチクいじって来た。いつも帽子(ハット)を深々と被り、香取から見てしばらくは年齢不詳でまさか一つ上とは思わなかったと後日語っている。今はおひさま冒険団の発声練習の締めとして使っている「せぇの」はこの時高塩から教えてもらったものである。これは誰が作った物かと香取が高塩に尋ねると、もともと、彼女の地元栃木の高校時代に演劇部で使用していたもので、おそらく宮沢賢治だとおもうけど、誰が考えたか分からないと言っていた。ちなみにこの二人は、後述する、マクロファージの座長の野島奈緒美と香取が結婚するときに婚姻届けの証人としてサインをしてくれている。

・劇団マクロファージは、女性二人のコンビがリーダーを務める新人集団であった。座長は後に香取と結婚する野島奈緒美(通称:ノジママ)である。年末に目白駅近くにある喫茶店「伴茶夢」で面接をして、入団が決まった。初めて野島を見た時に香取は、片目が青いので「かっこいいっすね!」と思わず口にしてしまったが、それが好印象だったようだ。後に野島の目は幼少期から目が見えなく、その影響で瞳が青かったので、実母から「みっともないからカラーコンタクトをしなさい」と言い続けられていた。その影響で青い目にコンプレックスを持っていたが、それを開口一番かっこいいと褒められたので気に入ったようだ。ちなみにこの日の晩、野島は当時付き合っていた三つ年下の男性と喧嘩別れしている。野島に気に入られた香取は、たまたま主宰ふたりが茨城県牛久市住まいだったので(野島は途中から)、目白駅から柏駅までずっと一緒に帰っていた。そのうち、二人が沢山芝居のことを聞きたいから車で送ってよと言いはじめ、柏駅から牛久市の二人の自宅前まで送っていくのが慣例となった。また、芝居についてほぼ素人の集団だったので(香取もATSで一年叩き込まれた程度の実力だったが、団長から徹底的に叩き込まれたのである程度のことをすでに理解していた。ちなみにATSの団長は2回目の公演前に突如失踪していており、そのまま行方が分からない)、毎晩と言っていいほど野島から香取の自宅の電話に電話をかけてきていた。

・野島は必ず相談をしてから新たな相談を投げかけてくるので(つまり、次もつながる話題を振ってから電話を切っていた)、毎日電話をしているようになっていた。いつも野島の方から電話が来ていたが、連絡が遅くなったり、来なかったりしたときは、香取の方から連絡をしていた(座長が急いでいると言い残して電話を切るので、失礼のないように早めに返答をしていた)。あとで振り返ると、これが野島のテクニックであったのだが、離婚した後に何かの折にその話題を話すと、本人はケロッと忘れていた。ちなみに、香取が今でもは待っているものの幾つかは、この時野島から教えてもらったものが多い。ブラジルのコーヒー、フルボディの赤ワインとブルーチーズ、グリューワインが主なものである(野島は管理栄養士の資格を持っていてかつ、料理が得意)。



1.5 劇団はなまる大作戦(プロダクション時代)からEmpathy Experienceまで

2007年のはなまる大作戦の舞台『YU-GEN乱舞~建武に懸けた情熱~』は過渡期で劇団としてはプロダクション化に向けて動いている過程であったが、香取本人は公務員であったため、ギャラなどは一切発生せず劇団運営を行っていた。2008年の舞台からプロ化に向けて本格的に稼働し始める。実質、2008年から2013年までの時期である。

 

1.6 劇団おひさま冒険団立ち上げから代表辞任まで

2013年11月におひさま冒険団を世間にむけて銘打ったのを皮切りに、2019年に一度代表辞任を公表することになる。新型コロナの影響で辞任の時期が先送りになり、2021年9月に辞任となる。

 

1.7 そして今

辞任してからは、代表たまゆり笑のサポート役を主に、おひさま冒険団の作・演出を担っている。たまが代表として独り立ちした以降のことはまだ決まっていない。

 

 

 

2 プレースタイル

・2022年現在は、算命学と演技論を駆使して組織や人材を求められた条件に育てていく技術を持っている。

・演技については、その個人の個性の能力を最大限に聞ぎだす手法を持つ。

・演出については、セットが無いのに舞台が動いているようにみせるような空間演出を得意とする。

・座右の銘は「勝って驕るな、負けて腐るな」。好きなセリフは漫画「ONE PIECE」の中のキャラの、ボン・クレー「命を賭けて友達(ダチ)を迎えに行く友達を見捨てて おめェら明日食うメシが美味ェかよ!!」である。2022年現在は、算命学を根底に、人は幸せになるために生まれてきているということを信じて、どんな人でも輝ける、そのために何をすべきかを大前提に仕事をしている。 「今日輝けない者は明日も輝くことはできない」と思っているので、どんなどん底にいても最後は前を向くことを意識している。またラグビーをやっていたことから、「One for all All for one」を信条に、「信じ、待ち、許す」を実践している。これは思いっきりドラマ「スクールウォーズ」の受け売りである。香取の信念は大まかに、「スクールウォーズ」「機動戦士ガンダム」「少年ジャンプ」で出来上がっている。そのため香取のスタンスはウザくて熱い。

・香取が立ち上げた劇団や舞台上演前には必ず「情熱と楽しむ心を持って、大胆かつ繊細に!」を掛け声にして演じさせている。

・また、神と人は一つである。宇宙と人は一体である。魂はみんな一つである。すなわち、人はみんな同じ魂の分け御霊であると信じている(「宇宙=愛=神=人間=魂=光」という考え)。人類兄弟である。

・人と人は鏡映し。辛い辛いと言っていれば辛いことがやって来る。ならば、笑顔でいたら笑顔でいられることがいずれ必ずやって来ると信じて指導している。

・また、30半ばを越えたあたりから、あえてぼそぼそとしゃべるスタンスを身に付けて実践している。それ以前はスパルタ指導が基本で、スーパー体育会系、軍隊そのものであったが、30代後半からは、とてもゆるゆるで、やる気あるのか?と誤解されるような指導方法を実践している。

・正しいことより楽しいことを優先している。演技指導は基本的に目の前の人間に合わせた指導をするが、基本的な演技論の軸として、 一つ、感じたことを感じた分だけ表現する。一つ、目から星を出すような存在感を維持する。一つ、常に間をとる。を意識させている。

・役作りや表現方法も多角的に伝えていき、当人がやりやすいところから取り掛からせている。

・また本人は、20代で自分の劇団を持った時から、電通の理念にちなんだ、・仕事は自分から創るもの。与えられるものではない。・生き残るものは、強いものでも賢いものでもなく、変化し続けたものである。・仕事は、先手に働きかけ、受身でやらない。・大きいところから攻める。目先の小さなところにこだわらない。・難しい仕事に取り組む、それを成し遂げて進歩する。・取り組んだら手放すな。諦めなければ必ず実現する。・常に長期ビジョンを持つ。しっかりとした計画を持てば、自ずと希望が生まれる。・自信を持つ。自信がないから覇気がない。覇気がないから存在感が薄いのである。・常に八方に気を配る。客観性を身に付け、洞察力を養えば何ごとにも通じる。・失敗を恐るな。失敗は成功のもと、進歩の母。でないと卑屈人間に成り下がる。の10ヶ条を抱えて実践している。

・芸能界を目指す教え子たちには、「人脈を飛ばさない」「人の悪口を言わない」「約束を守れ!」の、この三つだけは絶対に守れと言い聞かせている。また社会人としての生き方の基本を報連相や、仕事の意味、自分で自分を褒められるような生活スタイル等など、様々な要点を伝え続けている。

・鑑定については、就職、起業、恋愛、結婚、離婚や子育てなどの個人相談や、そもそもその個人がどんな仕事に向いているか、どんな人と付き合えばいいのかなどの人間関係や職場環境の相談にも乗れる。つまり、この技術を使って、部下の配置を決めたり、ベストな働く場所選びをさせることができる能力を持っている。



 

3 マネジメント 

・現在の育成方法は、算命学の知恵と、コーチング手法を独自に混ぜ合わせ、個人の個性と能力に合わせた演技指導(発声・活舌・表現演技・声の演技など)もしくは運勢改革を主としている。

・俳優・声優などタレント志望以外の方には、運勢の改革や人生相談にも乗っている。具体的には、人生を楽しみたい、長生きしたい、経済の不安なく、食べ物・飲み物を楽しみたい、恐怖や痛いこと、危険なことから回避したい、異性にもてたい・関係を持ちたい或いは良好になりたい、快適に生活したい、ライバルに勝ちたい、世の中に後れを取りたくない、愛する人を守りたい、社会的に認められたいなどの願望の成就の仕方を指南している。

・基本的に演技は独学で学んでいったが、1995年に演劇ユニット「Actors Team Sanctuary」に入り、団長から「半年で劇団を作れるようにしごいてやる」と言われ熱血指導を受ける。肉練(とにかく体を鍛えながら声を出したり表現したりする)を軸に、気合いと熱量の演技論を叩き込まれる。1996年に劇団更人に所属し、作・演出家の面高純一より無理難題の演出をされ、団長の高塩昌子から高校演劇で体験した技法や、女性ならではの演技方法と空気感を学ぶ。2001年に武田直樹と出会い、2002年の作・演出の舞台で演出の空気感の作り方を盗み、はなまる大作戦の舞台は毎度必ず観に来ていた武田氏より、毎回アドバイスを受け、その中で、出演者が演出をやる手段を学ぶ。2001年にXYZに加入しアクションと振付のポイントを学び、以後実践で覚えていく。加えて身体の捌き方を2012年の舞台の時に組んだ大月龍治より忍術の体術を学び自分の振り付けの幅を広げた。またはなまる大作戦時代にアクションコーディネーターの伊勢田隆弘が加わり、JACの振り付けポイントを享受する。

・マネージャーの心得の大部分は大輪茂男から叩き込まれたが、香取を芸能界に引き込んだ土田一徳や、はなまる脱退後に組んだ遅塚孝一、元氣プロジェクトの岡本邦裕などからも、マネージャーとしてのノウハウを教わる。

 

 

 

 

4 人物

好きな食べ物 どん亭のしゃぶしゃぶ、茶碗蒸し、たこ焼き、アジの塩焼き、ラーメン、蕎麦、杏仁豆腐。/ 好きな飲み物 山本山のお茶(ペットボトル)、三岳(お酒は弱い)、豆乳(キッコーマン) / 好きな俳優 真田広之 / 好きな女優 多部未華子、毎田暖乃 / 好きな小説家 東野圭吾 / 好きなアーティスト CHAGE&ASKA/ 好きな曲 WA DA DA〈Kep1er〉(歌えないけど) / 好きだった教科 日本史(主に中世) / 好みのタイプ 色白で背が小さくて黒髪のひと(できれば巨乳) / 好きなプロ野球チーム 阪神タイガース / 好きなアニメ 機動戦士ガンダム、ハイキュー / 過去一番感動したドラマ スクールウォーズ / 最近感動したドラマ 妻、小学生になる。、私の家政夫ナギサさん / 今までで一番衝撃的だった映画 漂流教室 / 中学時代に夢中になったもの ウルトラクイズ、ノストラダムスの大予言 / 高校時代に夢中になったもの ラグビー / 好きな色 原色系(赤、青、黄色、黒) / 好きな画家 ルノワール / 好きな漫画 ONE PIECE、キングダム / ハマってること 算命学 / 好きな歴史上の人物 足利尊氏 / 行ってみたい場所 屋久島の世界遺産区域 / 好きなキャラクター でんこちゃん / 

・地元千葉県大好き人間。「笑顔は世界のパスポート」をモットーにしている。世界中の人全員が、せえので隣の人を思いやることができたら、一瞬で世界から戦争が無くなると本気で思っている。

・香取は過去のブログのプロフィールに「人は誰しも幸せになりたいと思っているはず。でもこの殺伐とした世の中にもまれている間に、何故かその幸せになりたいという気持ちばかり一人歩きして、自分の幸せのみを追求し始めているように思えてなりません。自分ひとりが幸せになったところで本当の満足感は得られないと思うのです。周りの人の笑顔があるからこそ、自分自身の幸福もあるのだと僕は思いたい。そんな足がかりになるようなことを創めて行きたいと思っています。 」と述べていた。また、妄想的な願望で、20代の頃は千葉県知事になったら、千葉県を独立国家にしてやろうと考えていた。千葉県は橋を渡るか海を船で渡ってこないと入れないし出れない陸の孤島。基本的に第一次産業から第三次産業まで揃っていて、ないのは新幹線と高い山くらい。これで独立できないはずがない!と考えていたようだ。千葉県愛がにじみ出ていた20代であった。 

・算命学ソフトがたたき出した簡易鑑定 

~自然からのメッセージ~あなたは協調性と優しさを持ち合わせた社交家。周りと協調することで本領発揮。自然界では「草花」に喩えます。草花は一見すると弱々しく、可憐なイメージを持っていますが、実際には大地にしっかりと根を張り、夏の暑さにも冬の寒さにもじっと耐えながら、仲間を増やすことでより美しく力強くなっていきます。この質を持ったあなたは、協調性にあふれ、どのような環境におかれても柔軟に対処していきます。周りと上手く和合して仲間を作ったりしていくことが、あなたの個性を輝かせることになるのです。また、草花は一粒の種からゆっくりと時間をかけて、一輪の花を咲かせます。そして、一見して弱々しかったり頼りなく見えても、雑草が踏まれても踏まれても再び芽を出すように、精神力は相当に強く、忍耐強さや逞しさも持ち合わせています。★夏になると草花は咲き誇りますが、余分な枝葉や雑草は刈り取ることが必要です。「春の草花」のあなたにとっては「プライドを持つこと」が大切です。さらに恵みの雨が草花に潤いと生命力を与えてくれるように、あなたにとって「新しいことへ挑戦すること」も非常に大切なことです。

~あなたの資性~性格的には一つのことを長い時間かけて追及していくタイプで、頭のキレも良く協調精神も豊富なのが『乙亥』生まれの人。社会的には「横とのつながり」があなたのキーワード。感受性も鋭く、周囲の人たちからたくさんのことを吸収していくことが得意ですから、個人経営よりも共同事業で実力を発揮できるでしょう。運勢的には波乱万丈ともいえる人生になりがちで、何度も大きな荒波に襲われることになりますが、内面にひそむ度胸の良さで困難に立ち向かっていくことでしょう。夏生まれの人は太陽のように明るく、周りを楽しくさせたり、明るい気持ちにさせる雰囲気を漂わせています。思い切って芸能関係の仕事に進んでみるのも良いでしょう。家庭の中ではしっかり者で面倒見の良い長男長女的な役割を担うことが多くなります。

~あなたの個性~・あなたは、周りの人を振り回すほどのすごいパワーの持ち主です。しかも、人間的にも非常に奥が深くて神秘的な魅力を備えていて、周りの人を惹きつけていきます。でも内面には激しい葛藤を繰り返していて、時には身内に厳しい言動をとってしまうことも。普段は決して表にあらわさず、普通の人の何倍もの努力とがんばりによって、厳しい環境もハネ返していくことでしょう。・ある意味では、あきらめともいえるような結婚になりやすいです。そのため、仕事一筋に生きたり、夫婦共働き、子どもがいない、別居など、すれ違いが多い家庭になりそうです。でも、ごく普通の家庭スタイルにこだわらないで、逆に距離を置くことができればとても仲の良いカップルになることでしょう。あなたの愛情は、無心で接してくる人や、犬やペットなどに極端に注がれていく傾向があります。・普段はおとなしく見えても内面は闘争心が旺盛で、挑戦的になったり批判的になったりしやすい面があります。特に目上の人に対しては、細かいことが気になったり、反発心が沸いてきたりするなど、何かと感情的になったり張り合うことが多く、大人げない争いを起こしやすい傾向もありますから注意しましょう。・表面的には態度が柔らかで、女性のような優しさを感じさせる人です。そのためか、優柔不断で何を考えているのか分からないような印象を与えがちな面があります。でも、内面には白黒はっきりしていて、意外に男性としてのたくましさや芯の強さを持っています。見かけと中身がかなり異なる人です。・周りが気がつかない些細なことでも気がついてしまう感性の鋭い人です。時には勘が良すぎて、気づかなくても良いものに気がついたり、また、大きく心が揺れて不安定な気持ちになりやすい傾向もあります。あなたの持つ感性を学問・芸術あるいは実生活に活かすことができれば、人間的魅力あふれる深みのある人になることでしょう。ちょっとした言動が誤解を生みやすい傾向もありますからご注意を。

 

【つよみ】

○よく他人からしぶといと言われる。○日本史が得意だった。○負けず嫌い。○窮地になると必ず誰かが助けてくれる。○我慢強い。○取り柄がないのに良いポジションにいる。○一般的な人よりも波乱含みの人生経験がある。○よく自分と出会ったことで人生観が変わったと言われる。○感謝されることが多い。○相談相手になることが多い。

 

【ちがい】

○気がつくと中心にいる。○人に信用されやすい。○人を集められる。○環境がコロコロ変わる。○人に溶け込めない。○お金がない。○片親がいない。○資格がない。○人に利用(悪用)される。○気がつくと色んな人と出会う。

 

【やりたいこと】

○世界中の人たちを笑顔にしたい。○中野区民1万人をサポーターにしたい。○香取組100人にしたい。○人財育成のスペシャリストになりたい。○地域コミュニティの活性化で経済を潤滑させたい。○一人でも多くの人に、生きる希望や勇気を伝えていきたい。○千葉県を復興(独立)させたい。○世界を平和にしたい。○助けてもらった人たちに恩返しをしたい。○親孝行したい。

 

【できること】

○人に教えること。○人を励ますこと。○ゼロから人を集めること。○何度も立ち上がれること。○演技をすること。○アクションをすること。○台本を書くこと。○演出すること。○企画を立てること。○人と人を繋ぐこと。

 

【好きなこと】

○対話することが好き。○日本史が好き。○ガンダムが好き(人間ドラマ)。○算命学が好き。○有識者から知識を学ぶことが好き。○人の体験談を聞くのが好き。○人がより良く変わっていくのを見るのが好き。○人が喜んでもらえるのを見るのが好き。○みんなでしゃぶしゃぶをするのが好き。○自然が好き。

 

般若心経・禊祓い祝詞・龍神祝詞といくつかのマントラを諳んじられる。またレイキも扱える。

 

 

4.1 おひさま冒険団員からの評価

・一見優しそうだが怒ったらすごい怖いとよく言われるが、大体似たような評価を得ている。例えば、その人にあったその人が望んだものを見据えたアドバイスをくれる、どんな相談も一度はちゃんと聞いてくれるとか、負けん気が強くて弱いところを見せないとか、放ってるオーラ(気)の使い方が凄くて、大きくしたり小さくしたりできるなど。また、よく食べて、あまり欲がなくてなんでも人にあげちゃって、外を歩くときは必ず何か被ってる。それでもって、たまに何言ってるか分からないし、話が聞き取れない。といった苦情もある。オンオフの切り替えが早く、いつ切り替わったか分からないという人もいる。

おひさま冒険団の2018年9月3日のブログに、当時の劇団員からみた香取の評価が次のように記してある。

 

◆吉良竜矢◆

・自分の事より団員の事を優先してくれる

・笑顔が素敵

・知識が豊富

・何事も諦めない

・現場対応能力がある

・よく食べる

・優しい

・人をやる気にさせる力が凄い

・アクション、殺陣が上手い

・筋道をしっかりと通す

 

◆たまゆり笑◆

・一人一人にあったアドバイスをしてくれる

・義理と人情に熱い

・人のいいところを見出しのばしてくれる

・人の良いところを、見つけてくれる

・頭がよく、様々なことに関して知識が深い

・勉強家、常に新しい事を吸収する

・頭の回転がよく臨機応変に対応する

・愛情深く、仲間を大切にする

・人の内面を察し、寄り添うことができる

・強くて、力強い。その一方で優しく、自分の弱みも見せられる人

 

◆藤原りょう◆

・親身になってお話を聞いて下さる。

・その人に合ったアドバイスを的確にして下さる。

・全てを言わずヒントを出し自分たちが考えて成長出来るようにして下さる。

・どんな困難でもプラスに変える力をお持ちになられている。

・知識が豊富でそれを分かりやすく説明して下さる。

・その場にいて下さるだけで安心出来るオーラをお持ちである。

・その日その日をしっかりと生きている

・40代とは思えないほど動きにキレがあり、どんな行動でも繊細に表現して下さる

・何も言わなくてもその時の周囲の感情や体調などを感じ取って下さる。

・どんなことでも受け止めて下さる。

 

◆愛河美帆◆

・色々な方面にとても経験豊富

・知識量がすごい

・教え方がうまくて、例えがわかりやすい

・義理堅い

・愛情深くて人の為に動かれる

・人の特徴を捉えるのがうまい

・情に熱い

・ギャグで場を和ませるのがうまい

・直観力が優れていてすごい

・話に説得力がある

 

◆立花聡一朗◆

・人を惹きつける魅力がある。

・経験されてきたからこそ、言葉に説得力がある。

・代表だけど、だからこその人間臭さがある。

・常に自分を律して振る舞うことができる。

・何よりも誰よりもおひさま冒険団の事を考えて下さっている。

・どこまでも人の心に寄り添う事ができる優しさがある。

・物凄く情に厚く、愛を持って接して下さる。

・タダでは転ばない不屈の心を持っている。

・物事の先を常に捉え、それを踏まえた判断力、行動力がある。

・不義理を許さず、義理を必ず通す。

 

◆豊川未智◆ 

・一人一人に合った話し方をしてくださる

・相談事には、きちんと対応してくださる

・それぞれのカラーを尊重してくださる

・アクションがカッコイイ

・愛に溢れている

・生を楽しんでいる

・決断力がある

・周りの人を第一に考えている

・忍耐力がある

・ギャップがあり、愛嬌がある

 

◆矢野瑞季◆

・全てを受け入れてから、提案してくれる。器が大きい。

・団員のみんなへ愛情深い

・ウィンウィンを常に作り続ける聡明な人である

・台本のメッセージが強く伝わる

・どんな人も馬鹿にしない、可能性を見出す

・叱ってでも、本当に大切なことを教えてくれる

・ユーモアがあり、その場を和ますこともできる

・人生体験が豊富で、魅力的である

・勇気を与えることができる

・たくさんの人を励ますことができる

 

◆五十嵐育也◆

・色んな人の痛みが分かるのは、本当にすごいと思います。

・人の成長を何よりも喜んでくださる。

・取捨選択に躊躇がない。

・人の才能を見いだす才能。

・伝えるという事に対する誠実な姿勢。

・一期一会の精神を常に実践されている。

・どこまで未来を見ているのかわからない程、果てしないビジョンを感じる。

・本当の優しさがある。

・何が起きても、向上心を失わない信念がある。

・教え子に対する愛。

 

◆林隼平◆

・故きを温ねて新しきを知る精神。

・自身の直観力を信じ貫き通せる人生経験の豊富さ。

・話もさることながら、動きや振る舞いの引き出しなど全てにおいて想像もできないほど持っている

・約束は絶対守られる

・創造力と想像力が豊かで、必ず実現させる意志の強さがある

・影響を受けやすく、新しいことを自分の中に取り入れてすぐ実践する行動力

・仲間を想い守ってくださる暖かい人間力

・誰かを貶めることなく、誰もが勝てる道を探求できる

・全てを楽しく捉えられる発想の豊かさ

・人を観て、話を聞いて、その人へ寄り添ったアドバイスをくださる

 

◆津村悠介◆

・おひさまメンバーのことを一番に考えてくれる

・愛のある厳しさで人を助けようとする

・お芝居に関することだけでなく、人との接し方や言葉のチョイスの仕方も参考になる

・物の教え方がとてもわかりやすい

・言っていることにブレがない

・レスポンスが誰よりも早い

・おひさまメンバーを自分の息子・娘のように見てくれている

・器が誰よりも大きく、優しく接してくれる

・過酷な経験をしているからこそ人間性が強い

・自分が忙しくてもおひさまメンバーとの時間を大切にしている

 

◆光瑠◆

・わたしの人生を変えてくれた

・いつも暖かく深いお言葉をくれる

・的確なアドバイスをくれる

・困っているとき気持ちが沈んでいるとき励ましてくれる

・質問にとても親切に答えてくれる

・香取さんが笑っているとつられて笑ってしまう

・劇団員ひとりひとりのことをしっかり考えている

・演出の仕方がお客さん目線でとても面白い

・不安、悩みを解決する手助けをしてくれる

・未来を見据えてそのときにやるべきことを教えてくれる

 

◆大畑美穂◆

・人の特徴を掴むのがうまい

・例え話が分かりやすい

・相手の心を見抜くことができる

・一人一人に対して丁寧に本気で向き合ってくださる

・発想力がすごい

・よく食べる

・勉強熱心

・小さな事でも感謝の心を忘れない人

・愛情深い

・少年ジャンプの知識がすごい

 

◆本郷悠◆

・笑顔が素敵

・人としての魅力がある

・アクションの神

・オーラが神レベル

・人徳の神

・強いものに立ち向かう力がある

・視野が広い

・観音菩薩の生まれ変わりの存在

・戦隊ヒーローでいうならまさに長官的存在 穏やか

・全知全能の神ゼウスのような人

 

◆玖賀遥香◆

・人思い

・相談を受けたらちゃんと人のことをわかって伝えてくれる

・さっぱりしている

・周りに気を配れる

・真面目で丁寧

・話しやすい

・精神力が人と違う

・発想豊か

・教え方がとても上手い

・人に勇気を与えてくれる

 

◆永塚未知流◆

・話してて安心する 

・いてくれるだけで安心する 

・知識と経験が半端じゃないのできっと一生かなわない 

・言葉選びがわかりやすい 

・会話のテンポが心地いい 

・かわいい 

・絶対的な肯定をくれる 

・話していると新しい価値観が生まれる 

・どんな相談もできる 

・センスがあって面白い

 

◆太田朱香◆

・いつも優しく丁寧に指導してくれる

・相手に寄り添って話を聞いてくれる

・劇団関係以外も色々なことを教えてくれる

・1番に周りのためを思って行動している

・付いて行きたいって思わせる魅力

・思わず頼りたくなる安心感がある

・質問すると+aで教えてくれる

・団員全員をそれぞれの方法で導いてくれる

・相手を思ってこその厳しさがある

・たくさんの新しい世界を見せてくれる



5 エピソード

・2020年夏に勧められて四柱推命を習った際、自分が育てた人間を、他の会社の社長(自分より強い人、立派な人、同業の目上)にもっていかれる宿命であることを知り、ひどく納得した。

・養成所ビジネスは否定していないが、養成所の青田刈りは人材の浪費だと真剣に考えている。

・別居後、離婚した方がいいのかどうか真剣に迷った際に占いにハマった。その後いろんな占い師の所を転々とし、出した結論は占いは信用できないであった。だからこそ、算命学の理論が非常に理解できた。

・占いはその占術士のレベルに合わせた結論が出てくるものだとということを理解している。

・事務所を立ち上げ軌道に乗せようとしたころ、何人もの人物が手のひらを返して陥れようしたり、はしごを外されている経験を榎本靖プロデューサーに相談したところ、「それはそいつらが香取を恐れているからだよ」とはっきり言われた。出る杭は、友達になるか打ち付けて黙らせるか、どちらかしかない。それがこの業界だとアドバイスをもらった。

・Empathy experience時代、すでに中野を拠点に活動していたのだが、mixiでメンバー募集をしていたところ、mixiから出会い目的での活用は禁止ということでアカウントを停止された時、渋谷にあるmixi本社まで苦情を言いに出向いていった。こちらは名刺と素顔を出しているにもかかわらず、対応したのは下っ端の人物で、ネームプレートもなく(ボディーガードの人はネームプレートがある)、対応していた。揚げ足取りや論破が非常に得意な香取は、その若者の意見をすべて打ち砕いてしまいすぎて、手が震えながら上司にメモを書いているのを見て可哀想だなと思っていたが、最後に名前を聞いたところ、「中野です」と答えたため、ふざけてるのか!と激怒した。

・舞台には上がらないと2009年決めていた香取だが、2010年、2012年に出演している。2010年は当時ギリギリスパルタ指導が入っていた「Empathy experience」の旗揚げ公演『One`s beliefs』 で、本番直前になってもセリフが入らない香取と同い年の白石の演技を見て、明日まで出来なかったら降板させると伝えた所、できずにその場で泣き崩れてしまったのを見て、5分考えて「俺が出る」と決めて出演した。出演者との稽古時間はダンスの練習2時間、通し1回、シーン通しの時間合わせて6時間ほどで舞台の本番に立った。2012年は咲さくらの営業トークに、大月隆治の脅しに負けて出演を決めた。咲の舞台は余りにも非情で言いがかりや無茶ぶりも多く、当時のルートエフメンバーの結束力が返って増した。大月の舞台は忍術の一部を体験することができ、収穫が多かったが集客で痛い目を見た。どちらにしても良い経験になった。

・香取が陰陽五行論塾(算命学)と出会ったきっかけは、友人とお茶をしているときに、「人をみる目なさすぎ」とズバッと言われたことがきっかけで、紹介された人物の説明が面白く学ぶことを決めた。後に観音様が自身に宿る能力で鑑定する鑑定士から、「あなたは人生を沢山失敗することで算命学を学べるようになったのね」と言われ、己に気づいた。

・2010年に声優の山口由里子に勧められ、日暮里にある野口整体の施術師に出会う。たまたま香取と同い年で気心もあい、信頼できる人物の一人となっている。人の気を沢山吸い込んでしまう体質である香取にとって、彼の施術は芸能界を生きて行く上でなくてはならない存在となっている。

・陰陽五行塾に通い始めてから直観力がより鋭くなり、目の前の人の嘘や、本心を見抜けるようになった。本人は、瞑想や、マントラ、マインドフルネスなどを毎日行うようになったためではないかと言っている。また、自分の宿命を知ることで、自分が無意識に気づいていた能力をはっきり理解できたことは非常に影響が大きいと語っている。

・本人は料理は得意ではないのだが、たまに振る舞う料理は結構評判が良い。だが、同じ味付けは二度と出来ず、接客も不得意なため、飲食店で働くことは絶対に無理だと言っている。

・高校を卒業してすぐに公務員に採用になったため、アルバイト経験がほとんどない。それもあり、アルバイト感覚もなく、アルバイトの相談にも乗れないのがある意味悩みだと本人は語っている。

・偉い人は尊敬できるが、偉そうな人は大嫌いだと語っている。ただ、偉そうな人にも畏敬の念は払うよう努めている。

・酒は本性をさらけ出す飲み物だと語っている。酒で失敗する人は隠していた本性が表に出ただけであって、何も特別なことではなく、酒を理由に記憶がないとか、無礼講やセクハラ、パワハラが許されると思っている人物に対して全く理解ができない。本人は酒で記憶を失くしたことが一度もない。

・人生で一度もタバコを吸ったことが無い。ゆえに、煙草の旨さを知らないし、煙草が辞められない苦しさも知らない。

・本人曰く、28歳まで年下の人物に頭を下げることは一切なかったし、敬語を使うことも一切なかったと語っている。変わるきっかけとなったのは、アクションチーム「XYZ」に参加したことだと後に語っている。それ以降、老若男女問わず、すべての人物を尊敬できるようになったと言っている。また、これが無ければ、自分よりも年が下の女性を好きになることもなければ、付き合うこともなかったと断言している。

・25歳の誕生日を迎えた後、左半身がしびれるようになり、松戸にある新東京病院で脳に血管腫があると伝えられた。手術のリスクよりそのままの方がいいと医者の判断があったためそのまま放置している。そのこともあり40代の中年以降は脳梗塞・脳卒中のリスクがあると伝えられた。また、陰陽五行塾に通って塾長に鑑定をしてもらったとき、「香取ちゃんは癌になる」と伝えられたので、自分は三大疾病のうち二つのリスクがあるんだと意識するようになった。ところが、2019年の年天中殺で月天中殺中に健康診断をしたところ、狭心症の疑いありと診断された。その時に、脳と癌のリスクは?と医者に尋ねたと語っている。このこともあり、ようは全て自分次第だという結論に至っている。

・2020年の安倍総理のテレビ会見で、緊急事態宣言を発令したその直後に、左足首の激痛が走り、歩けなくなった。あまりにも激痛で、何をしても改善しなかったため、朝になっても痛むようなら医者に診てもらおうと決意し、翌朝診察を受けたら、痛風だと診断された。本人曰く「痛風は親指ではないんですか?」と医者にも問いながら、認めたくはなかったが、しっかり数値が表しているので痛風という持病を持って生きて行くことになった。酒を飲まないで痛風になるということは、どれだけ炭水化物を摂っているのかという裏返しでもある。それ以降、出会う若者たちに、30歳になったら、ラーメンライスは身体によくないと訴えている。

・小学生時代からとにかく怪我が多く、転落から衝突、殴り合いぶつかり合いで、切り傷や打撲、ねん挫、肉離れ、脱臼、脳震盪を繰り返している。骨折は一度もない。そのおかげで、簡単な応急処置は自分の体で覚えている。息子がよちよち歩きの時、自宅の二階から階段を立ったまま側転するかのように一階に転がり落ちた時、その怪我の処置の仕方が役に立ち、大事に至らないどころか傷跡すら残さなかった。急患対応の医者から応急処置を褒められた経験がある。

・香取の左頬には傷跡が残っている。これは、生まれたばかりの時に母親が産毛をカミソリで剃ろうとしたときにできた傷である。そのカミソリも、たまたま母親の祖母方の家系が代々理容室なため、本格的なカミソリであったので切れ味も鋭く、寝ている間に剃っていたら、赤ん坊が顔をそむけたときに出来た傷だと言っている。つまり、香取は物心ついた時から頬に傷がある。

・香取の首の付け根の右側には手術跡がある。生まれた時は難産で、吸引機で頭を引っ張って生まれてきたと母は語っている。その時の頭はまるでたまごが伸びたような形をしていて、医者が一生懸命押し込んで縮めたそうだ。その時に首がいつも左側を向いて、右を向けない身体になっていたので、生まれてすぐ手術をしてクビを治療した。その結果現在もストレートネックで、左は向きやすいが右は向きづらい身体になっている。

・そもそも大の野菜嫌いで、何故か最初から食べれたものはほうれん草ときゅうりだけだったのだが、親の教育と、祖父の威圧感でだんだんと食べれるようになった。親以外で食べれるようにしてもらえたのは、キノコとナスである。キノコは隣の家の一つ下の幼馴染の母親から「大ちゃんはキノコ食べれねぇのか?!と笑いながら嫌味を言われ、じゃあこれ飲んでごらんよ、つるっと入るから。」となめこ汁を差し出され、いやいや騙されて飲み込んでみたら思いの外平気であったため、抵抗がなくなりだんだんとキノコ全種食べれるようになった。ナスは一人暮らしを始めてからになるので、食べれるようになった(むしろ好きになった)ことを祖父も祖母も知らないうちに亡くなった。最後まで食べれなかったナスは、千葉県柏市に住んでいるときに松葉中の部活動に関わる職員全員の懇親会の席でとある料亭に行き、「俺の差し出したナスが食えねぇのか?」と田楽ナス(米ナス)を突き出されしぶしぶ食べたら殊の外美味しかったので抵抗がなくなった。ちなみにこの教員とは、週に1,2度は夕食を共にして(というより飲み相手に連れていかれ)、いろんな味を覚えさせられた。北柏駅のすぐそばにある「かごや」というあかちょうちんの店で値段はいつも時価としか書かれておらず、ここのおかあさんとおとうさんに可愛がられ、教員を含めた三人に味を覚えさせられた。当時としては珍しい、さんまの刺身や、ホタルイカの刺身をはじめ、ちゃんちゃん焼きやあんこう鍋、卵焼きや漬物、越乃寒梅や酒盗など、日本料理の旨さを覚えさせてもらったお店だという。この体験が無ければ味音痴になっていたかもしれないと後に香取は語っている。

・カラオケはかごやに連れて行ってくれた教員と、兄貴分だった英語の教員の二人に教えてもらう。カラオケは苦手で歌えないというところから、「上手くなるまで付き合うよ」と英語の教員から誘われ、ひたすらカラオケボックスで練習をした。おかげで高音の音域まで自由に使えるようになり、当時のカラオケの点数が表記される機会でも大体90点から98点まで出せるようになった。持ち歌は、CHAGE and ASKA、TUBE、チェッカーズが主で、1990年代に流行った曲はだいたいネタとして歌った。そのうち中森明菜の曲も歌えるようになった。もう一人の教員の影響で、校長にもウケる歌を覚えろとの指令で、ちあきなおみの「喝采」や、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」なども歌えるようになった。はなまる大作戦の旗揚げ公演で喉をつぶすまでは、L'Arc〜en〜CielのhydeやMr.Childrenの桜井和寿、T.M.Revolutionの西川貴教、TM NETWORKの宇都宮隆の音域は普通の歌えたので、職場でも同期会でも人気であった。30歳を超えたあたりからめったにカラオケボックスにはいかなくなった。

・高校時代は朝からかつ丼を食べるくらい食欲旺盛だった。5時に起きて新聞配達を毎日していたからかもしれない。このころの香取が住む家の炊飯器は10合炊きだった。祖父も毎食一合くらい食べたので元気であった。

・母方の祖父は山梨出身で、よく手作りうどんを香取が小学生から高校時代はよく食べさせていた。小麦粉から練り上げて分厚く歯ごたえのあるうどんとは言えないうどんだった。家族のだれも喜んで食べないため、香取一人が喜んで食べていたので月に一度は作ってくれていた。みそ味で中には鶏肉または豚肉と、ニンジンや里芋、大根などが雑多に入ってよく煮込まれていた。それがほうとうだと知るのは香取がもっと大人になってからだった。

・幼稚園に入るころ、祖父の躾けなのかいびりなのか、今となっては定かではないが、箸を持てるようになっていた。その理由は箸の持てない人間は飯を食う資格がないと怒鳴りつけられ食事を取り上げられていたからだ。そのおかげで小学校に入るころには完ぺきに箸を使いこなしていた。

・基本的に嫌いな食べ物は羊羹(寒天を使ったもの、つまり寒天が苦手)とバナナ。理由は二つとも、幼少期の食べ過ぎによるものである。

・劇団の代表をやっていたり、制作会社の社長やプロダクション社長の肩書を持っていると、映画が好きとか舞台をよく観るとか、芸能人を良く知っていると思われるのだが、全くそんなことはなく、基本的に映画も舞台もTVドラマやバラエティなども気が向かないと見ない。小説や漫画も気が向いたものだけ読むのでそれほど知らない。本人曰く、「自分は他の人と違い、なりたくてなった仕事でも役職でもなく、成り行きや自然の流れでそこにいただけなので全く下積みも知識もない。なので知らないものは知らない。」と言っている。また、映画監督や作品を数多く知っているからと言ってその人物が素晴らしい作品を創作できる映画監督だとは全く思っていない。誰の作品がどうだとか、どん人物はああだとか、うんちく語る人ほど作品は面白くない人が多いと思っている。

・成人式の時、中学校時代の同窓会の幹事を行った。当時は千葉県柏市に住んでおり、ほとんどの同級生が地元の木更津市に住んでいたが、中三時の担任の先生との約束を思い出した香取は、同窓会をやろうと思い立ち、どうせやるなら4クラス全部合わせたものをやろうと決めて動き始めた。まずは4クラスの担任の先生全員に連絡を取り、学年主任の先生に連絡を取った。その後卒業文集を基に往復はがきを作成し、総勢およそ150名分の印刷を全部手作業で行いまとめて行った(当時は携帯電話はもちろん、パソコンも気軽にプリントアウトできるものではなかった)。会場となるホテルは、父親にたまには役に立てと相談を持ち掛け、父のツテでホテル銀河で行った。3分2以上の参加があり、学年主任、担任の教員はじめ、先生もほぼ参加となり、盛大に事故を起こすことなく終えることができた。公に恩師と教え子が堂々と酒を酌み交わせた最初の日となる。

・二回目の同窓会も香取が行った。これは木更津駅近くの「養老の滝」で行う。二回目は当初考えていなかったのだが、この年に香取と中学、高校と一緒だった同級生の村田が癌で急死したため、彼の弔いも兼ねて二回目を開いた。この村田は、香取に公務員試験と大学入試が併願できると教えてくれた人物である。高校時代、ラグビー部にいた香取より背は少し高いが華奢な男であったが、柔道では香取はまるで歯が立たなかった。

・高校時代、アニメ「YAWARA」が流行っており、その技を真似してラグビー部の同学年の連中とラグビーの練習の後遊んでいた。一年生は全てが終わった後、グランド整備とボール磨きがあったので、グランド整備班がよく柔道で遊んでいた。その甲斐もあってか、柔道の授業は割とラグビー部は強かった。しかしながら、柔道部とは動きが全く違い、ラグビー部は全敗だった。「柔よく剛を制す」という猪熊治五郎のセリフは、柔道の授業でもラグビーの試合でも活用し、中肉中背タイプの香取はこの感覚を肌で覚え、自分よりも体格の立派な相手に対して、真っ向勝負というよりは相手の力を利用して自陣チームが有利に働くような戦略やプレーに徹していた。そのプレースタイルが、猪突猛進型の一つ上のパートナー(一学年上のチーム時代のポジションはセンター。そのセンターの相棒の先輩山口が、ただ肉弾戦で突っ込むタイプのプレースタイルで、香取のスタンスと真逆であり、試合中に良く香取を叱っていた)と逆だったため、上手くかみ合わないことが多かった。ただ、フルバックの先輩山田が、香取に近いスタンスだったので、山田がよくフォローをしてくれ、チームはそれなりにまとまっていた。

 

 

 

6 作品一覧

学生時代のものは除き、役者になりたいと考え始めた後のものを舞台中心に記している。

恋愛ものは基本的にほぼない。だが、女優との絡みは多い。自分で作った作品で最初から自分が演じると決まっているものは女性の絡みが無いが、依頼されたものは多かった。劇中で命を落とす役が多く、あるいは発狂させられる役柄も多かったため、葛藤芝居は得意技になっている。

 

6.1 舞台(出演)

『Forget me not』 Actors Team Sanctuary '95.03(アールコリン)

『PARADOX KNIGHT』 Actors Team Sanctuary '95.12(アールコリン)

『毒~POISON~』 劇団マクロ・ファージ '96.05(池袋小劇場)

『笑う化石に眠る歌声』 劇団更人 作・演出 面高純一 '96.06(アートボックスホール)

『ガラスの人魚』(主演) 劇団更人 作・演出 面高純一 '96.12(アートボックスホール)

『赤い靴』 劇団マクロ・ファージ '97.02(アートボックスホール)

『髪結い新三~グレート・カブキ~』(主演) Actors Team Sanctuary '97.05(アールコリン)

『泣き猫の森は天使卵を抱きながら』 (主演) 劇団更人 作・演出 面高純一 '97.07(アートボックスホール)

『水槽の中の月』 劇団更人 作・演出 面高純一  '98.06(アートボックスホール)

『夢見の箱舟』 劇団更人 作・演出 面高純一  '99.12(アートボックスホール)

『髪結い新三』(主演) 劇団はなまる大作戦 '02.06(新宿サニーサイドシアター)

『お笑い狂時代』作・演出 武田直樹 劇団ジパング '02.10(プロト・シアター)

『しあわせ戦隊ハッピーレンジャー』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '03.05

『いつか水無月の雫の底で』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '03.06(シアター・バビロンの流れのほとりにて)

『アップルパイの午後』 はじけるナイト・ボーン! '03.08(阿佐ヶ谷アートスペース・プロット)

『彼の丘に眠る』 座☆FunnyWorld '03.09

『the sanctuary of ANGELS』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '03.11(神楽坂die pratze)

『エケロテクル讃歌』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '04.06(アドリブ小劇場)

『カワタレドキの夜鶯』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '04.10(アドリブ小劇場)

『please deep sleep』 劇団気球計画 '05.01(麻布die pratze)

『臆病な小羊の物語』 高校生対象はなまる塾1 作・演出 面高純一 '05.03(京華高等女学校)

『そしてわたしは0になる』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '05.06(アドリブ小劇場)

『世界の終わりに君が生まれた』 劇団はなまる大作戦 作・演出 面高純一 '05.11(アドリブ小劇場)

『黄泉降』 高校生対象はなまる塾2(主演) '06.01(京華高等女学校)

『THE FAMILY RESTAURANT』 CALLSLOWS '06.02(アイピット目白)

『Eve.』(主演) 劇団はなまる大作戦 '06.06(アドリブ小劇場)

『YU-GEN乱舞~建武に懸けた情熱~』 劇団はなまる大作戦 '07.08(萬劇場)

『LOST The WORLD』(主演) 劇団はなまる大作戦 '08.07(築地本願寺ブディストホール)

『One`s beliefs』 Empathy experience '10.09(劇場MOMO)

『Sakura-Station 3rdAlive』 Team-Y '12.06(神楽坂die pratze)

『夢の通ひ路』 Empathy experience '12.08(シアターブラッツ)

 

6.1-2 映像(出演)

YAMAHAミュージックレッスンオンライン「いつでも気軽にネットでレッスン」 '09.05

 

6.1-3 雑誌

COMPANY TANK(カンパニータンク)2009年3月号

 

6.2 舞台(上演上演台本・演出・殺陣振付)

『赤い靴』(演出) 劇団マクロ・ファージ '97.02(アートボックスホール)

『髪結い新三』(演出・殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '02.06(新宿サニーサイドシアター)

『しあわせ戦隊ハッピーレンジャー』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '03.05

『いつか水無月の雫の底で』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '03.06(シアター・バビロンの流れのほとりにて)

『彼の丘に眠る』(殺陣振付) 座☆FunnyWorld '03.09

『the sanctuary of ANGELS』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '03.11(神楽坂die pratze)

『エケロテクル讃歌』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '04.06(アドリブ小劇場)

『カワタレドキの夜鶯』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '04.10(アドリブ小劇場)

『臆病な小羊の物語』(殺陣振付) 高校生対象はなまる塾1 '05.03(京華高等女学校)

『そしてわたしは0になる』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '05.06(アドリブ小劇場)

『(SR)』(殺陣振付) ラナジェロ'05.10

『世界の終わりに君が生まれた』(殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '05.11(アドリブ小劇場)

『黄泉降』(殺陣振付) 高校生対象はなまる塾2 '06.01(京華高等女学校)

『Eve.』(原作・殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '06.06(アドリブ小劇場)

『YU-GEN乱舞~建武に懸けた情熱~』(作・演出・殺陣振付) 劇団はなまる大作戦'07.08(萬劇場)

『古伝 怨仁吹嵐(おにふぶき)』(殺陣振付) ゆにっと未来風 '08.01(アドリブ小劇場)

『LOST The WORLD』(作・演出・殺陣振付) 劇団はなまる大作戦 '08.07(築地本願寺ブディストホール)

『ELEVEN ~残りのひとつ~』(作・演出・殺陣振付) 劇団あいすきゃんでぃ '09.04(門前仲町天井ホール)

『犬ちゃん』(原案・演出)  Empathy experience '10.03(STUDIOBARBAR)

『One`s beliefs』(作・演出) Empathy experience '10.09(劇場MOMO)

『ブロードウェイ・スポットライト』(演出) 脚本:大月龍治 '10.11(ラドンナ原宿)

『ELEVEN ~2011~』(作・演出・殺陣振付) Empathy experience  '11.03(門前仲町天井ホール)

『彼の丘に眠る~終わりと始まりの間に~』(作・演出・殺陣振付) Empathy experience  '11.10(シアターブラッツ)

『竜宮城と鬼ヶ島と舞踏会』(殺陣振付) なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと(作・演出・共同企画:武田直樹) '12.04(中野スタジオあくとれ)

『天使のシケン』(殺陣振付) なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと(作・演出・共同企画:武田直樹) '12.07(劇場MOMO)

『夢の通ひ路』(演出) Empathy experience 原作:森村詩菜、脚本:大月龍治 '12.08(シアターブラッツ)

『アラジンと魔術師たち』(殺陣振付) なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと(作・演出・共同企画:武田直樹) '12.11(テアトルBONBON)

『かぐやのふるさと』(殺陣振付) なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと(作・演出・共同企画:武田直樹) '13.03(テアトルBONBON)

『なかのサイド物語(ストーリー)』(殺陣振付) なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと(作・演出・共同企画:武田直樹) '13.08(テアトルBONBON)

『十六のココロ』(演出) 梅干し部第一話 '13.09(ライブハウス&レストラン 新宿ミノトール2.)

『許してワラレル•ワールド』(演出・殺陣振付) 天道虫1回目公演 '14.09(中野スタジオあくとれ)

『彩誘記』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団1回目本公演 '15.02(中野スタジオあくとれ)

『ネムリノヒメ』(演出・殺陣振付) 天道虫2回目公演 '15.09(中野スタジオあくとれ)

『真田十勇志』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団2回目本公演 '16.02(中野スタジオあくとれ)

『魔王juvenileremix』(演出・殺陣振付) 天道虫3回目公演 原案:伊坂幸太郎・大須賀めぐみ、脚色:矢野瑞季 '16.09(中野スタジオあくとれ)

『夜霧のベルゲン・ベルゼン~ふたりのアンネ~』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団3回目本公演 '17.02(中野スタジオあくとれ)

『長曾根虎徹 辻芝居』(脚本・演出) おひさま冒険団〈神田山緑コラボ芝居〉 '17.05(ナカノバ食堂)

『スフィンクスの祈り〜セイクリッド・ビーストの終焉と伝説〜』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団復活公演 '18.09(中野スタジオあくとれ)

『風紀委員満寿久子〜伝説のバレンタインデー~』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団4回目本公演 '19.02(中野スタジオあくとれ)

『シネンシス・ブレス』(作・演出・殺陣振付) 虹色わたあめ '19.08(中野スタジオあくとれ)

『雪駄のシンデレラ』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団プチ本公演 '19.09(中野スタジオあくとれ)

『アトランティスZERO』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団5回目本公演 '20.03(中野スタジオあくとれ)

『花咲か爺さん』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団 野外公演 '20.11(おかのうえ公園 アートウィーク)

『おおかむづみ~イザナギとイザナミと黄泉の国~』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団 日本の昔ばなし公演 '21.04(中野スタジオあくとれ)

『鬼を以て鑑と為す』(演出) 劇団おひさま冒険団 日本の昔ばなし公演 '21.04(中野スタジオあくとれ)

『ハンカチ落としましたよ。』(作・演出・殺陣振付) 劇団おひさま冒険団6回目本公演 '21.11(中野スタジオあくとれ)

6.3 朗読劇・シナリオ

『あゆむ君の宝物』(脚本) ルートエフ '12.09原作:友弥(TOMOMI)出演:セイン・カミュ(六本木Magne Cafe) 

『「Now Forever」~警視庁少年課事件ファイル~』(脚本・演出) ルートエフ'12.09原作「警視庁少年課事件ファイル」駒田史郎(講談社)(六本木Magne Cafe)

『忠臣蔵とノストラダムス』(脚本・演出) 梅干し部第2話 '13.12(Dining Bar HiLZ)

『勝手に年越しライブ?』(脚本・演出) 梅干し部第3話 '13.12(Dining Bar HiLZ)

『ノリコと成人式と…』(脚本・演出) 梅干し部第4話 '14.01(Dining Bar HiLZ)

『鬼はバレンタイン』(脚本・演出) 梅干し部第5話 '14.02(Dining Bar HiLZ)

『棚からボタモチ?』(脚本・演出) 梅干し部第6話 '14.03(Dining Bar HiLZ)

『花よりお酒。』(脚本・演出) 梅干し部第7話 '14.04(Dining Bar HiLZ)

『タケノコにょっき!』(脚本・演出) 梅干し部第8話 '14.05(Dining Bar HiLZ)

『ワールドカップ一休』(脚本・演出) 梅干し部第9話 '14.05(Dining Bar HiLZ)T門氏の妨害により未上演。

『はじまりのはじまり』(脚本・演出) おりぃ部第1話 '16.05(ナカノバ食堂)

『オリーブ飯対決』(脚本・演出) おりぃ部第2話 '16.06(ナカノバ食堂)

『選挙に行こう!』(脚本・演出) おりぃ部第3話 '16.07(ナカノバ食堂)

『オリーブde十五夜!?』(脚本・演出) おりぃ部第4話 '16.09(ナカノバ食堂)

『OL大収穫祭!!』(脚本・演出) おりぃ部第5話 '16.10(ナカノバ食堂)

『アワ長者!?』(脚本・演出) おりぃ部第6話 '16.11(ナカノバ食堂)

『ひる!あん!どーん!』(脚本・演出) おりぃ部第7話 '16.12(ナカノバ食堂)

『オリーブ20(トゥエンティー)』(脚本・演出) おりぃ部第8話 '17.01(ナカノバ食堂)

『豆で鬼退治!桃☆太郎』(脚本・演出) おりぃ部第9話 '17.02(ナカノバ食堂)

『春満開☆笑顔で防犯!』(脚本・演出) おりぃ部第10話 '17.03(ナカノバ食堂)

『花咲じいさんだワン!』(脚本・演出) おりぃ部第11話 '17.04(ナカノバ食堂)

『菖蒲で勝負!』(脚本・演出) おりぃ部第12話 '17.05(ナカノバ食堂)

『伝説の養老の滝』(脚本・演出) おりぃ部第13話 '17.06(ナカノバ食堂)

『はっぴぃ一寸法師』(脚本・演出) おりぃ部第14話 '17.07(ナカノバ食堂)

『アブラカタブラ!わらしべ長者』(脚本・演出) おりぃ部第15話 '17.08(ナカノバ食堂)

『行ってこい!おいてけ堀』(脚本・演出) おりぃ部第16話 '17.09(ナカノバ食堂)

『キツネの恩返し』(脚本・演出) おりぃ部第17話 '17.10(ナカノバ食堂)

『しょ、しょ、証城寺』(脚本・演出) おりぃ部第18話 '17.11(ナカノバ食堂)

『宝物、笠地蔵』(脚本・演出) おりぃ部第19話 '17.12(ナカノバ食堂)

『天橋立』(脚本・演出) おひさま冒険団(つながる中野望念会作品) '17.12(ナカノバ食堂)

『あかし動物フェスティバル』(明石市)構成台本 ’18.11

『真っ白なキャンパスになって』(脚本・演出・監督) たまごとミルク 第0回公演 '20.12(タイパゲッティー)

ヒガナカTV構成台本

・海鮮・かき・沖縄料理 『わ』 居酒屋、沖縄料理、魚介料理・海鮮料理(東中野) 2021/06/03 配信

・ロシア料理 【コ.トゥ.タモ.ペヴァ (KO.TO.TAMO.PEVA)】(東中野) 2021/06/22 配信

他多数。

6.4 キャスティング担当

YAMAHA「ミュージックレッスンオンライン」

『18・29〜妻が突然18才!?』(フジテレビ/日本語吹き替え)声優キャスティング。

着信ボイス声優キャスティング(堀川りょう・山口由里子・滝口順平・中尾隆聖・竹内順子他)。

『ひきこさん VS こっくりさん』(OV)

『ブタカリ。』(OV)

劇団はなまる大作戦/全作品(髪結い新三・いつか水無月の雫の底で・the sanctuary of ANGELS・エケロテクル讃歌・カワタレドキの夜鶯・そしてわたしは0になる・世界の終わりに君が生まれた・Eve.・YU-GEN乱舞~建武に懸けた情熱~・LOST The WORLD)

Empathy experience/全作品(犬ちゃん・One`s beliefs・ELEVEN ~2011~・彼の丘に眠る~終わりと始まりの間に~・夢の通ひ路)

『ブロードウエイ・スポットライト』(舞台)

なかのエンジョイ♪えんた~て~めんと/全作品(竜宮城と鬼ヶ島と舞踏会・天使のシケン・アラジンと魔術師たち・かぐやのふるさと・なかのサイド物語)

劇団おひさま冒険団/全作品(彩誘記・真田十勇志・夜霧のベルゲン・ベルゼン~ふたりのアンネ~・スフィンクスの祈り〜セイクリッド・ビーストの終焉と伝説〜・風紀委員満寿久子〜伝説のバレンタインデー~・雪駄のシンデレラ・アトランティスZERO・おおかむづみ~イザナギとイザナミと黄泉の国~・ハンカチ落としましたよ。)

『百物語シリーズ』(OV) 他



 

7 外部リンク

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