綾羽陽子

 

綾羽陽子(あやはようこ、1996年〈平成8年〉625-)は、女優。劇団おひさま冒険団所属。

神奈川県横浜市生まれ、身長160cm、血液型B型。明星大学中退。

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来歴

尚花愛児園に通い、遊戯会ではスペインの踊り子の役をやる。間違えながらも堂々としていたため見ていた保護者、先生から拍手をもらう。同時期、友人の影響でバレエに憧れる。小学1年生、友人が通っていた綱島カルチャーセンターでバレエを習い始める。(2002年~2008年夏)

2001年、妹が生まれる。

両親は共働きのため2人が家を空けるときはクリーニング屋を営んでいる祖父母の家に預けられていた。祖母は歌を習っており本人は練習に付き添っていた。その時から歌手になりたいと夢見るが世間体を気にして動けずにいた。

その時期から芸能に興味を持つ。2006年綱島カルチャーセンターでバレエ部門が廃止になる。丁度トウシューズも履ける年齢になり、同級生でバレエを習っている友達も出来たので辞めたくなく、通える範囲のバレエスクールをくまなく探した。綱島にあるバレエソレイユに入る。教室が開いているときは常に出席していた。プロが行くレッスン場に連れていかれたりもした。ここで学んだ知識と経験が現在の綾羽の身体の基礎となる。

2008年、バレエの発表会でくるみ割り人形のクララと金平糖の精を演じ、バレエを辞める。部活動は美術部に入る。

2009年、友人に誘われ、2年間生徒会副会長を務めた。

2011年、東日本大震災が起こる。生徒会のメンバーの学級委員長が「何か支援をしたい」と声をあげ、南三陸町戸倉中学校と直接の交流をもち、実際に学校へ訪れた。その関わりの中で、同級生とは見えない精神力の強さに圧倒され、己の小ささを知る。

高校は父の勧めで、品川の私立朋優学院高等学校に推薦で進学した。友人の勧めで軽音楽部に入部した。パート選択ではボーカルのみオーディションがあり、歌手になりたいという夢が忘れられずオーディションを受けてボーカルになる。入部時は人気のある部活だが、練習の厳しさや、メンバーが組めないなどの劣等感により卒業時には三分の一も残らない部活だった。その中で一番無難な綾羽だったが、カリスマ性のあるメンバーに恵まれ、吉祥寺のジョージロックU22のコンテストで決勝出場まで上り詰める。受験生になっても部活に明け暮れ、成績は芳しくなかった。推薦は受からなかったため受験することになるが、どこに行きたいか志望もなかったため、就職に有利であると人気だった建築を目指す。部活が終わってからは喪失感にさいなまれ、好きだったラーメンで満たし、6ヶ月で10キロ以上太る。

2010年生理不順になり、3か月間生理が来ないと思ったら、半年間多量の出血をし続けた。

大学進学とともに落ち着いていった。大学は明星大学総合理工学科建築学系に進む。課題に明け暮れ、体重は2か月ほどで自然と戻った。課題で作品を作るのにこだわりがありすぎたため、提出期限を守れなかったり、遅刻欠席が増え留年が決まる。それと同時に休学を選択する。サークルはフォークソングサークルに入る。練習スタジオが軽音楽部と隣り合わせで部活の人とも仲良くなり、先輩にプロを目指してバンドを組もうと誘われる。いつかの空蝉というバンドを組み曲を制作しだすが、大学の欠席が増えるとともに引きこもり気味になり、脱退。休学中、居酒屋のアルバイトと家の往復をしていた。歌がやりたいという思いはずっと消えず、Smuleというカラオケアプリに投稿し始める。事務所のオーディション雑誌を買いワタナベエンターテインメントのオーディションを受ける。審査員特別賞をもらうが、特待生に受からなきゃ入らないと決めていたので辞退する。

渋谷でEmotionという事務所にスカウトされ所属し、演技のレッスンを受けながらエキストラなどで芸能界に少し触れる。芸能に進みたいという思いが強くなり、大学を中退し、芸能界に行くと決める。

現在劇団おひさま冒険団で活動する。